2010年6月12日土曜日

社会人になる前に知っておきたいこと。

 幸福になるために、必要なスキルがあります。
 特にコミュニケーション、仕事は大事なので必要なスキルがあります。
 その分、必要でないスキルは気にしないようにしましょう。
 幸せになるために、必要と不必要なスキルの棚卸しをするようしましょう。

 できない、できないと思いわずらう人がいます。
 人は神様ではないのでできないことがあります。
 それも簡単なことができない場合も少なくありません。

 むしろ本当に注目すべきことは表面的な事象ではなく、その背景に潜んでいる問題です。
 つまり「人生脚本」のことです。

 人生脚本とは、自分でも気がつかない間に、自分が自分に用意した自分の生涯の目的です。
 わたしたちは、幸福になりたい。健康でいたい。賢くいたい。美しくいたい。と願います。 
 ところが願望に反して、不幸、不健康、愚か、醜い姿を選んでしまいます。
 もっとも本人には選んだ感覚はありません。
 潜在意識は実現するといいます。
 その言葉通り、実現してしまのは、表面的な意識以上に強い潜在意識が自分の人生脚本を書上げ、その脚本通りに行動してしまうからです。

 実に簡単なことができないという人がいます。
 確かにそういうことってあります。それは嘘でもなくそうだと思います。

 自分は新入社員研修を数多くこなしているので、そういう経験を沢山しています。
 習慣がないので、できないのです。
 ほとんどの場合、繰り返しトライすれば解決します。
 解決できるのは、本人が意識して取組むからです。

 その場合、トレーニングする者の視線が背中を押しています。
 つまり、できない原因に「甘え」 があることは否定できません。

 さて、できないことは誰にでもあります。
 だからーできないことがあっても、それで全人格が否定されるものでもありません。
 でも、本人ができた方がいいと思うなら、それはそれでいいことです。
 実行すればいのです。

 したいことは努力してできるようになればいい。
 パソコン、英語、習字を学習する要領です。
 個人差があるので、すぐにできなくても出来るようになります。

 私が新入社員研修で結果を急ぐのは、それができないと仕事にならないからです。
 新入社員ができるようになるのも、その目的や意味を理解して努力してくれるからです。

 新入社員君にしたら、いままで経験したことのないような厄介もなく会社生活ができるほうがいいでしょう。
 しかし「何も問題なく人生を過ごせたら……」という願望を理解することはできても、それは生活全般を無為にしてしまうことにつながっています。
 それは恐怖心のために、せっかく”オギャー”と生まれ出てきた子宮の羊水の中に戻る退行です。
 生まれたことを後悔しているような行為だからです。

 教育する立場で、それを許すことはできない。
 人生は個人的なものですが、共同体の一員として放置できない。
 それを認めることは「あなたはいなくてもいいよ。」というようなものだからです。


 必要なのに、できることを避けて通ろうとする場合、安全を求めて世話をされることを求めて、守ってもらえる、依存できる相手を見つけようとする意識が働いています。

 しかし、本当のところ、恐怖心と実際の能力は比例しているわけではありません。
 困難な仕事に必要な能力を持っていても、挑戦しようとはせず、自分にはできないと都合のいい合理的と思われる理由を見つけます。
 あるいはやってはみるものの、うまくできないと自ら失敗に向かいます。

 自分にはできないと都合のいい合理的と思われる理由を見つけます。
 あるいはやってはみるものの、うまくできないと自ら失敗に向かいます。
 自分には能力がないことを繰り返し証明してみせます。
 そして自分を責める・・・私たちが気をつけるべきは、そこにある「人生脚本」です。

 人生脚本はここにあり、そこにははっきりとした目的があります
 繰り返し証明するには、目的があるからです。
 この目的にあわせて自分を作っているのです。

 私たちは、「あんなこと、こんなことをしていたから、こうなったんだ。」と考えます。
 しかし、それは逆で、「目的 (結果) を達成するために、あんなこと、こんなことをしていた」というのが正しいのです。


 ある人は、永年の努力が認められて昇進しました。
 スポーツマンで、とてもエネルギッシュな人で、人付き合いもよく家庭人としても問題もありませんでした。
 しかし昇進とともに一変しました。
 不安と恐怖心で作った「想像」で、時分の内側にヒステリックな混乱が起こって、無気力になったのです。

 不安と恐怖の原因、理油はさまざまです。
 不安と恐怖は誰にもありますが、好ましくない想像が自立心をくじきます。
 自立心が思うように機能しないと、助けを求めて周囲の人に依存してしまうことは身近にあります。

 依存心が強すぎて、自分から自立心を放棄するようになると、できることでもしなくなります。
 自分にはできないことを証明しょうとするのですから手負えません。
 洞察力のある人たちが、一つ一つ噛んで含めるようにサポートしても効果のないことに疲労と挫折感を覚えるようになります。
 実はこの挫折感こそが、本人の挫折感そのものなのです。
 やがて求めている助けがエンドレスであることに、責任逃れだと思い当たるようになります。

 自分にはできないことを証明しょうとするあ者と、それを止めさせようとする者。
 主体性は、本人にあるので、止めさせようとする者に勝ち目はありません。

 この局面で、するべきことは、主体性を持った本人が自分が何を求めて、何を企て、どのような結果出そうとしているのか。
 それにどのような意味があるのか。
 それで自分がどうなろうとしているのか。
 それを知って進路を変えることです。

 サポーターの忍耐のあるサポートを受けることができても、最後に進路を決めて、進路を変える行動をとるのは、主体性を持つ資格にある自分にしかできないのです。


 不安があり、乗り越えようとしない場合には、持っている能力も実力以下の能力へと押し下げます。
 不安とは、新しいことにチャレンジする際に生まれる、自然な反応です。
 決して悪いものではありません。
 しかしこの反応に身をまかせるだけなら進化はなく、家庭人としてもいい影響がありません。

 完璧主義にように求めるイメージが高すぎるのは問題になります。
 自己イメージに「有能な私」の姿が似合わないと感じるのはロクなことになりません。
 否定的な自己イメージを持っている人は、自分の能力を高めるチャンスが来ても、問題を解決する場面でも、背を向けてしまうのです。

 人は自分の才能を認めることよりも、力がないと思っていたほうがずっと楽なのです。
 そうすれば、他人から嫉妬されることもないし、重い責任を負わずにすみます。それをよしとする理由は人それぞれです。

 どうしてそうなったのか、過去をほり返すより、どうすれば、問題を乗り越える力を発揮できるかを考えたほうが自分の人生にプラスになります。

 間違いなく言えることは、この世界を逃げるようなスタンスで生きることはかえって危険だということです。
 働くこと、暮らすこと、人生に最初から意味があるわけではありません。
 それぞれ個人が意味を発見します。

 暮らしのなかでも、仕事は使い方で生き生きした自分を取り戻す場所になります。
 あるいはより自主的になる、つまりなれる最高の自分になる場所にできるのです。
 最高の自分は最高の家族に通じています。

 「家族」「家庭」は職場と同じような構造をしています。
 職場で身に付ける問題を乗り越える力は、そのまま応用できるのです。

 「何も問題なく人生を過ごせれ ば……」という態度で家族が機能することはありません。
 機能する家族とは、問題がない家族ではなく、問題を乗り越えることができる家族なのです。
 問題を乗り越える力を育む場として、仕事の場以上の場所はないでしょう。

 家族といる時は甘えが通用するものです。
 しかし仕事をするとき、もっとも注意深さが要求されるといって言いすぎではないでしょう。
 それをストレス呼び、切り捨てることは簡単ですが、実はこの注意深さを通して、自分自身に気がつき、より良くしていくために、自分がとるべき方向と方法を発見できるようになるのです。

 それは自分と家族を守る注意深さに通じています。
 仕事は、本来の自分を取り戻す場として、最も有効な場所です。
 学校も挑戦することを求められますが、職場では責任がついてきます。
 人によって責任は重く感じるものですが、それがあるから逃げずに向かうことができる勇気を育むともいえます。

 勇気が乏しいからといって、自分を責めてはいけません。
 仕事は毎日それを問いかけています。
 だから仕事は人生の中心になるのです。
 仕事は教師の役割を果たしてくれるのです。


 安全を求めて世話をされることを求めて、守ってもらえる、依存できる相手を見つけようとすることの危険です。
 
 人間は神様ではないので、できないこあと、できることがあります。
 それは人によって違う。
 したいことなら努力を続けるとできるようになります。
 だからできない、できない。できない私はダメ人間だという意味のない考えに囚われずに、もっと行動しましょう。

 いまこの瞬間、するべきことに集中するのです。
 知っている、知らないが問題ではない。
 分かっている、分かっていないが問題ではない。
 できること、できないことが問題ではない。

 人生で、仕事で、暮らし場面で、大事なのは、
 したか、しなかったか。
 している、していない。だけなのです。

2010年6月8日火曜日

意欲のある生き方が自分を変える

 仕事は人生の中心にあります。

 そのために、人を理解するには、その人が何をして、なにが好きで、どうお金を使うのか、社会的な立場はどうかといったことよりも、何をしているかの方がずっと重要になります。

 さらに言えば、仕事をどんなふうにやっているのか、その行動に外見では判断できない実像と人生の挑戦への姿勢を見ることができます。


 ですから仕事への姿勢は、生活全般を串刺しのように貫いています。自己効力感の低い人は積極的に仕事することを避けようとします。
 「何も問題なく人生を過ごせたら……」という願望を理解することはできても、それは生活全般を無為にしてしまうことにつながっているのです。

 それは恐怖心のために、せっかく”オギャー”と生まれ出てきた子宮の羊水の中に戻る退行のようなだからです。生まれたことを後悔しているような行為だからです。

 このような場合には、安全を求めて世話をされることを求めて、守ってもらえる、依存できる相手を見つけようとします。
 本当のところ、恐怖心と実際の能力は比例しているわけではありません。困難な仕事に必要な能力を持っていても、挑戦しようとはせず、自分にはできないと都合のいい合理的と思われる理由を見つけます。あるいはやってはみるものの、うまくできないと自ら失敗に向かいます。そして自分には能力がないことを繰り返し証明してみせます。

 また、昇進を言い渡されると、不安と恐怖心で作った「想像」でヒステリックな混乱を起こし、助けを求めて周囲の人に依存してしまうこともあります。洞察力のある人たちが、一つ一つ噛んで含めるようにサポートしても効果のないことに疲労と挫折感を覚えるようになります。実はこの挫折感こそが、本人の挫折感そのものなのです。やがて求めている助けがエンドレスであることに、責任逃れだと思い当たるようになります。

 不安が実力以下の能力へと押し下げるのです。不安とは、新しいことにチャレンジする際に生まれる、自然な反応です。決して悪いものではありません。しかしこの反応に身をまかせるだけなら進化はなく、家庭人としてもいい影響がありません。

 自己イメージに「有能な私」の姿が似合わないと感じるのはいいことではありません。求めるイメージが高すぎるのです。否定的な自己イメージを持っている人は、自分の能力を高めるチャンスが来ても、問題を解決する場面でも、背を向けてしまうのです。

 人は自分の才能を認めることよりも、力がないと思っていたほうがずっと楽なのです。そうすれば、他人から嫉妬されることもないし、重い責任を負わ ずにすみます。それをよしとする理由は人それぞれですが、過去をほり返すより、どうすれば、問題を乗り越える力を発揮できるかを考えたほうが自分の人生にプラスになります。

 間違いなく言えることは、この世界を逃げるようなスタンスで生きることはかえって危険だということです。働くことに最初から意味があるわけではありません。それぞれ個人が意味を発見します。その点、仕事は使い方で生き生きした自分を取り戻す場所になります。あるいはより自主的になる、つまりなれる最高の自分になる場所にできるのです。最高の自分は最高の家族に通じています。

「家族」「家庭」は職場と同じような構造をしています。職場で身に付ける問題を乗り越える力は、そのまま応用できるのです。「何も問題なく人生を過ごせれ ば……」という態度で家族が機能することはありません。機能する家族とは、問題がない家族ではなく、問題を乗り越えることができる家族なのです。問題を乗り越える力を育む場としてこれ以上の場所はないでしょう。

 仕事をするとき、もっとも注意深さが要求されるといって言いすぎではないでしょう。それをストレスと切り捨てることは簡単ですが。実はこの注意深さを通して、自分自身に気がつき、より良くしていくために、自分がとるべき方向と方法を発見できるようになるのです。それは自分と家族を守る注意深さに通じています。仕事は、本来の自分を取り戻す場として、最も有効な場所です。学校も挑戦することを求められますが、職場では責任がついてきます。人によって責任は重く感じるものですが、それがあるから逃げずに向かうことができる勇気を育むともいえます。

 勇気が乏しいからといって、自分を責めてはいけません。仕事は毎日それを問いかけています。だから仕事は人生の中心になるのです。仕事は教師の役割を果たしてくれるのです。


 さて、今日ここでもっとも言いたいことは、安全を求めて世話をされることを求めて、守ってもらえる、依存できる相手を見つけようとすることの危険です。それは必ずしも人ではありません。「○○○○○○依存症」と言われるように依存の対象は様々です。

 時に「失敗する自分依存症」もあります。失敗する自分依存症とは、自分にはできないと都合のいい合理的と思われる理由を見つけます。あるいはやってはみるものの、うまくできないと自ら失敗に向かいます。そして自分には能力がないことを繰り返し証明してみせるやり方が常習化したものです。
 そして自分を責める・・・私たちが気をつけるべきは、「そこにある人生脚本」です。

 失敗を恥じることも悔いる必要もありません。イチローが最高レベルのバッターであっても70%近い失敗をしているのです。問題は「繰り返し証明してみせる態度」です。冒頭にあげたように、仕事をどんなふうにやっているのか、その行動に外見では判断できない実像と人生の挑戦への姿勢を見ることができるように、どんなふうにして失敗したのかです。そこに人生脚本を抱きしめたいまのあなたがいます。

 その人生脚本になにが書いてあるのか、それを読むのが難しい時には「繰り返し証明してきたこと」で翻訳してみてください。つまり同じような繰り返しをしていることはないか?どんなささいなことでもいいのです。発見してみてください。

 繰り返す恋愛のすべてが相手の女性の涙と家庭環境で始まった男性がいました。その男性は、ある日、食事をしていた隣で、同じようなことを語っていた男性に出会いました。彼らは本当にその女性を愛したわけではなく、解決できていない自身の問題に振り回されていたのです。

 ある女性たちは、好きな人と交際が始まると、終止符を打ちにかかることを繰り返していました。彼女たちも解決できていない自身の問題に振り回されていたのです。

 またある女性は、こども時代の父親と母親と自分の関係を、成人したときに、自分を母親そっくりの状況に置いて、母親と同じ状況にご主人を置き、父親と同じ状況に結婚前に交際していた状況に置きました。つまり彼女はずっとこども時代の感情のまま暮らしているのです。こども時代に封じ込められた父親への感情を持ち続けることに成功しているのです。

いま苦しいことがあるのは、偶然ではなく解決すべき課題があるサインなのです。
課題はやっつけましょう!自分の選択と行動で、もっと幸福に、楽に暮らせるようになれるのです。

ライススキル講座

2010年6月2日水曜日

理由をそえて伝える

簡単なことでも唐突に言われると、言われた側は反応に困るものです。自分の中で完結していても、相手は別人格なので、完結したことをぶつけられても困ります。

たとえどんな理由でも理油がないと分からないのです。
分かっていても、別の理由があることもあるからです。

ですから理由があると人は納得もできてしまいがちになります。
よくわからない理由でも「理由がある」ように話をされると、なんとなく納得してしまいます。

たとえば「点検しておきます。」と言われるのと、「不足がないか、点検しておきます。」では、後者の方が断然受け容れられる率は違います。さらに「安全のために不足がないか点検しておきます」と言うと成功率は高まります。ビジネスシーンのテストで明白です。

同じように「お金を貸してください」と言うのと「お金がないのでお金を貸してください」と言うのでも結果の違いは明白です。「家に帰れるかどうか心配です。お金がないのでお金を貸してください」ならよりわかりやすくて納得します。


つけてもつけなくても変わらないような理由でさえそうですから、もっとしっかりした理由であれば、結果はさらに変わります。
よりよいコミュニケーションを願うなら実行は欠かせません。

ところが、よりよいコミュニケーションを願う相手ほど、言わなくても分かってくれるはずと、勝手に自己完結してしまって、言わないケースが多いのです。

その最たる事例が単語しか言わないコミュニケーションです。「お茶」「風呂」「メシ」といった調子です。習慣化すると家族だけでなく外でもやってしまいます。これで通じるのは、相手が読んでくれるからです。
つまり依存しているのですが、その意識すらありません。多くを語らなくてもきちんと理由を伝えるのはマナーなのです。


コミュニケーションが円滑でない人は、まず「唐突であること」に気をつけてください。

頼まれたことを断わる場合、「できません」と言うのと、「今日は約束があるので、できません」というのでは相手の気持は全然違います。その上で気配りの言葉があるのとないのでは、さらに違います。

唐突というのは、正しい、間違っているを超えて、暴力的でさえある印象を与えてしまうのです。
正しいからいい、分かってくれているはずだからいい。

その背景には、「こうあるべき」の決めつけがあります。でも本当は、私とあなたは別人格であることを意識するから、コミュニケーションは楽しいはずです。「普通はこうなのよ」というのは大雑把に世間を語るときに使ったにしても、個人的な関係では、特別な人を特別でないようにされていい気持になることはないので、「普通」はないものとしましょう。


簡単なことほど、お願いするにも、断るにも、ただ結論を言うのではなく、短くてもひとこと理由を添えるようにしましょう。
簡単なことに理由をつける習慣が身につくと、大事なことに理由をつけない習慣は変わります。

「暑いので、窓をあけてください」「時間なので終わります」「疲れているので帰ります」「あなたの傍にいたいのでそちらに行きます」

自分への配慮でいっぱいいっぱいになって、相手への配慮に欠ける。それを繰り返すと負のスパイラルに陥ります。逆回転する脱出の一歩は、どんな小さなことでも理由をつける習慣から始めます。

その時に注意して欲しいのは、言いわけがましくならないこと。相手が、こう考えるだろうと考えないことです。相手に受け容れられそうな理由を考えるにではなく、自分に率直に、誠実になることです。

また、他人を理由に持ってこないこと。「あなたが動かないから私は帰ります」というように理由づけするのもルール違反です。自己責任がマナーです。「あなたが寂しいと思うから、あなたの傍に行きます」って冗談ならあっても本気ならどうでししょう。

2010年5月30日日曜日

元気な声でコミュニケーション

声の大きさは生まれつきの場合もあります。
生活体験の結果という場合もあります。
どちらにしろ、元気な声は相手を安心させます。

私は、研修で大きな声を出す訓練をします。
最初は照れてなかなか出せない人でも、基準以上になります。
最初、自分のことしか考えていないので思うように出ません。
しかしサービス業で大きな声を出すのは、お客様やチームワークで働いている同僚のためだと理解できるまで話し合います。

そうすると分かってくれて、基準以上になります。
でもがなりたてるだけの声は乱暴者の声です。
大きな声の大切さとはほど遠くなります。

そこで次に、「なにを伝えたいのか」について話し合います。
まず不安にさせない。
安心していただく。
思いやりについて話し合います。
小さなこどもさんや、お年寄りの気持ちで考えてみます。

すると大きな声であればいいということではなく、状況に応じた対応があって、元気な声が効果的であることが分かってきます。

スヤスヤ眠っている赤ん坊がびっくりするような声は厳禁です。
お年寄りには、少し大きめに、でもソフトに語りかける。
つまり状況に合った声を出す。
声はなにより相手への想いなのです。
だから「大きな声で話しなさい」といわれます。
アサーティブ、ホスピタリティなのです。

愛するとは励まし。
GIVE&GIVEです。

2010年5月29日土曜日

境界力がコミュニケーションを変える

境界のの問題はとても重要なのにあまり知られていません。

誰でもこども時代があります。
泣いたらケアしてくれた。
金切り声をあげたら言うことを聞いてくれた。
こどもはみんな万能感を体験します。

成長につれて自分のことは自分がするように教えられました。

それでも万能感があると信じ続けたこどもがいます。
やがて万能でないことを思い知らされます。
自信を失い、どうしていいのか分からなくなります。

万能でないことを隠しながら暮らします。
その分、完璧主義が強くなり生きづらさを感じます。
当人にはその事実さえ分からないままです。

 
 家庭の中心にいる女性が、一番しなければならないこと、最重要で取り組むべき課題は、家族全員の自立を目的にした暮らしです。
家族それぞれが自分の限界を知り、家族それぞれが人の間には境界があることを知り、家族全員が境界を越えない暮らし方を身につけることです。

つまり家庭内で、じぶんぢからの再生をするプロジェクトを成功させることです。

 
 洗濯、掃除、食事の準備や片づけを女性が受け持つことは女性の仕事であったにしても、脱ぎ捨てたシャツは誰が片付けるのか。散らかしたものは誰が片づけるのか。使った食器は誰が洗うのか。自分の領域、他者の領域を決めて守ることが境界の認識に欠かせません。境界を越えない責任を果たすことが自立の条件です。

脱ぎ捨てたシャツは脱ぎ捨てた人が片づけるのです。
使った食器は使った人が洗うのです。
散らかしたものは散らかした人が片づけるのです。
本人以外が手を出すと、本人は誰かがしてくれると思います。
 
 女性が、持ち前の優しさと思いやり、そして責任感で、境界を越えてサポートしてあげると、家族は自身の限界が分からなくなり、境界の認識も曖昧になります。
結局、生きづらさを手伝うことになります。
愛しているなら、鬼の顔した天使になって、相手のことには力を貸さないことです。
正しくチームワークを機能させるのをめざします。

 
 

2010年5月28日金曜日

なぜ自分のゴールを語ることができないの?

 人生のゴールを具体的に話すことが出来れば、あなたは世界一周の旅以上の幸福を手にしたようなものです。
 でも多くの人には話すことは元よりイメージすらできない。自分探しはその苦しみからの脱出に他なりません。

 それにしても、なぜ自分のゴールを語ることができないのか。
 理由は簡単だ。
 夢見ることを教わっていないのだから。

 どのようにして実現するのか、その方法も知らない。
 多くの親は幸せの代用品を手に入れる方法を教えるけれど、幸せそのものの手に入れ方を教えることはしていない。

 さて、成人であるあなたは自分の行動は自分で選択できる。
 自分の責任は自分で引き受けることができる。
 それを羅針盤にして進んで行こう。

  自分のこと、人間関係のこと、結婚のこと、子育てのこと、家族のこと、仕事のこと、時間のこと、お金のこと、健康のこと、そして愛のこと・・・・

 あなたにはいくつもの気がかりがある。

 人生のゴールには、何をしたらいいのか、判らないという切実があり、結婚や恋愛には、少女の夢が遠のき、愛には終わりが来るという冬の気配に怯えていることも少なくない。

 ひるむことなく、自分に誠実に、率直に、自分の人生のある場所で暮らすようにしよう。
あなたの尊敬する人が、自分の人生のある場所で暮らして、夢を実現しているように、人はみんな対等だということを忘れずに、

 ♪ 青い小鳥が虹を越えるなら、私にだって できるはず ♪

2010年5月18日火曜日

あなたが苦しむ原因~禁止令、命令

 やりたいと思ったことをはじめたら考えずに行動することです。なぜそれがいいのか、禁止令の支配を断ち切るためです。とにかく一応のゴールに立つこと。そこで見る景色を体験することです。それまではひたすら続けることです。

では、禁止令がどう影響しているか説明します。

 人間は考えないことはできません。考えるには言葉を使います。動物は言葉を知らないので、直感とその基盤にある記憶を使います。動物の場合の記憶は体験です。

 人間の記憶は体験に留まりませんが、それでも体験はなにより強い記憶になります。渡したい葉記憶の使い方は能力ですが、好ましい記憶があれば力になりますが、好ましくない記憶は力をそぎ落とす結果になります。

 自立が不可能なこどもにとって親の命令は生きることそのものです。命令は親から、どちらかというと異性の親から与えられる傾向があります。同性の親は異性の親の命令やあり方にどう対処するべきかについて教えてくれます。もし母親が乱暴な行為やワイルドなものを嫌っていると、息子からワイルドなものを遠ざけ、乱暴しないように言いきかせます。

 そして自分の息子はやさしく親切の子だと思い込み、それにふさわしいサンプルとして父親を与えます。父親はよい見本になる場合もあれば、反面教師になる場合もありますが、母親のメッセージは命令として心に届きます。つまり子供時代に観て感じて記憶する、両親の態度、行動、選択が、自身の世界観、信念の基礎となります。これがライフスキルの主要な部分になります。

   >>>>  ライフスキル

 このプロセスを通じて、私たちは数えきれない「すべきこと」「すべきでないこと」を記憶していきます。もし、「すべきこと」が強くインプットされて、洪水のようになってしまうと、自立への意欲は失われてしまいます。立ち向かえないと思い込んでしまうからです。

問題を乗り越える気持ちは早々に挫折してしまうのです。これでは、「しなければならない」に支配されて、「うまくできなければ意味がない」と思い込んで、人生を愉しむ力を見失います。あなたは完璧な男性、あるいは女性でないと好きになれませんか?人生はそんなものではありません。

 友人も、パートナーもなく、お金もなく、健康でもない、それでも生きる喜びを全身で受けとめて、満たされた人生を生きる人もいます。もし、あなたが反対に持っていても不安があり、生きづらいと感じているなら、そして生きる喜び、満たされた人生を生きたいのなら、今までの人生の基準だった「すべきこと」を洗い直して見る必要があります。

洗い直す作業で知ることは、たった2つだけです。

・どんな種類の「命令」が下されているのか
・それはどんなパターンであなたを動かしているか、または行動を妨げているか


たった2つは、こんな問題を解決しました。

・異性との別れを繰り返すように教わってきた
・他人の目線を、ひどく気にするように教えられてきた
・働き続けて燃え尽きてしまうように>教えられてきた
・時間とお金の両方を浪費してその埋め合わせに人生を使い切るように教わった
・誰からも愛されないように、嫌われる言動をするように>教えられてきた
・重要な人を遠ざけて希望を持てなくなるように教えられてきた
・絶望して希望をもてなくなった人、
・必ず失敗するように能力を発揮しないように教えられてきた
・目立たないように教えられてきた


 この人たちは「あるがままの姿」を自ら閉ざした人たちです。閉ざす命令を守ったせいで、「あるがままの姿」を自ら閉ざしたのです。

バカバカしいと思いませんか?バカバカしいことを毎日繰り返してあるがままの目標に到達しないように頑張っているのです。くやしくありませんか?あなたはくやしいで済ますことができても、実は周囲にいる人に迷惑をかけていることも少なくないのです。これが悪い人生脚本です。



 人生脚本を閉じたあなた、あるがままのあなたはこんな希望を持っています。

・パートナーと仲良く、いたわりあって、生涯暮らしたい。
・しっかりと子育てをして、家族が仲良く暮らしたい
・目標をもってやりがいのある仕事がしたい
・人のためになるように仕事がしたい。

 あなたならできるのです。あなたがその気持ちを行動に移しさえすればね。でもどうして、こんな簡単なことが、できないのでしょうか?あなたに下された良くない「命令」を、あなたが守って、自分の行動を遮断しているからです。決まったパターンでね。