2011年4月18日月曜日

大人同士の親密なコミュニケーション

見捨てられ不安が強い人と、そうでもない人がいます。

見捨てられ不安が強い人は過去に重要な誰か、たとえば父親とか、母親にそういう目にあった人が少なくありません。感情的になる人にはそういう人が多いのは仕方がないといえばそうです。つらい思いをこらえて成長してきたのですからね。

だからといって、感情的になっていいことはありません。

感情的になる人って、本当は、自分をすべて受けとめてほしいのです。
自分の中の小さな子どもが、きびしがって泣いているのです。

けれど、それを誰かに求めることには無理があります。
相手の価値観でしか考えられないからです。

寂しくて泣いている自分という子どもを抱きとめてあげられるのは、自分以外の誰かではなく、自分自身しかいないのです。
親密さを育てていくヒントがあります。

大人同士の関係に、自分の中の子どもをすべりこませないことです。
なぜなら、いまの自分は大人だからです。

自分の仲の子どもがパニック状態になりそうになったら、自分がしっかり抱きしめて、「いまは待ってね。あとでゆっくり気持ちを聞くから、今は大人の私にまかせて」と言い聞かすのです。
ちょっと二重人格みたいだけど、訓練ですから、自分で自分をコントロールする意識が必要です。慣れたら意識しなくても、自然にできるようになります。

大人の親密な関係は、お互いの境界がしっかりしていなければ育ちません。

なぜなら、どんな人にも限界があるからです。人はそれぞれに歩んできた歴史があり、時間や空間があります。以前我慢したけれど、もう同じ経験はしたくないと考えている人に、そのくらい我慢してもいいでしょう」と思うのは、境界を無断で侵入していることなのです。なにごとも、すべて思い通りになることはないのです。




2011年3月8日火曜日

剣の教え

剣道の教えにこういうのがあります。

「相手と向かい合って相手の肩に隙があると思うと、心は相手の肩に縛られてしまう。腕に隙があると思えば、心は腕に縛られてしまう。勝てると思うと心は勝つことに縛られてしまう。そうではなく、心は一切どのにも置かない。一点に気力を集中しながら心はどこにも置かない。これが剣の極意だ。」

宮本武蔵を指導したと言われる臨済宗の名僧、沢庵和尚の教えです。


この教えはフロー状態に通じています。

フロー状態とは、無心でなにかに没頭して取り組んでいる状態。「時のたつのも忘れて」とか「寝食を忘れて」とか・・・集中していると、あれこれ考えなくなります。あるのは「いまこの瞬間だけ」

いまこの瞬間だけに没頭した時間が流れた一日が最高の一日です。自分は消えてなくなっています。そのとき、自分はどこに行ってしまうのでしょうか?時間そのものになっているのです。

自分が消えてしまうのに幸せな時間・・・・ここに幸福の正体を見ます。
コミュニケーションがうまくできないと悩む人は、自分のことが気になって仕方がない。コミュニケーションが上手な人は相手に集中して自分のことは忘れています。そして心はニュートラル。自由。

2011年3月6日日曜日

ライフスキル



仕事は楽しいものだけど、同じくらいに不快感の多いものです。それに比べると快楽たとえば飲食、セックス、遊興には不快感が少ない。しかし量的に限度を越えると無感動になり、比例して依存的になります。快楽には発展がないのです。
楽しみは、仕事や勉強など、不快感の多いことに潜んでいて、見つけるのが決して容易ではありません。つまり宝物探しに似ています。

要するに、この世の中は、なにかにつけて不快な場所なのです。その最大の原因が人間との関わりにあります。その証拠に一生の内に出会う数は多いのに、信頼できる関係、友人、愛情を交歓できる異性の数は一握りにすぎない。

"Life Skill" ・・・・言葉の上では「生きる力」がもっとも近いのかも知れないが、この翻訳は政治家やお役人にはあまり受けが良くない。確かにどうもピンとこない。ライフスキルには、運転技術と同じイメージがあるので、「生きる技術」の方がしっくりするが、技術というと誤解されそうだ。どう翻訳しようが、中味は変わらないのです。

ライフスキルとは、不快感のなかから、楽しみ、喜びを見出せる技術です。 感情の処理の仕方が上手で、同時に楽しみを見つけ出して楽しんでしまう。対リーガーに転進した選手が「楽しみたい」と発言することに通じています。

これはスイッチチェンジという技術の問題です。物事の見方を変えることは、我慢することではありません。我慢は抑圧でしかなく、我慢を処理しようとして快楽に走る。臭い物にはフタをしろ式に、その場だけの対応なので、実はダメージになっています。

スイッチチェンジ(物事の見方を変える)はポジティブな方法です。そのコツは人と人の間にある「境界」への深い理解と温かいまなざしです。私とあの人は別の人格、私は私、あの人はあの人、その違いを認識して、尊重する。だからこそ親密の交歓が可能になるという事実を受容する。ライフスキルが確かだと、悲しみや怒りは確実に激減します。感情的にならないので喜怒哀楽が減ります。それが減ったとしても、取って代わる感動が育ち、人生は変わります。




2011年1月26日水曜日

見えないものが見える人

なにをするかよりも、どんなふうにするかが暮らしを鮮やかにします。
しかし、それを本当に知っていて、実践して人は一部しかいません。

大人なら忙しいのが普通です。
だからできるだけ時間をかけずにすませたいと思う。だからと言ってどんなふうにするかといことは違う次元のことです。

スーパーで売っているパックに入った惣菜をそのままの容器で食べるのと、お気に入りの食器に移し変えて食べるのでは全然違います。

プレゼントだって同じこと。買ってきたものを、そのまま右から左に贈るのではただ物を贈るだけのこと。それでヨシとするなら、お金を出せばいくらでも立派なものが手に入ります。だったら自分よりお金持ちの人には叶わないことを認めることです。そんな負け犬のような生き方はしたくないし、贈る相手にそんな気持ちを贈りたくない。モノさえもらえたら何でもいいのよと考える即物的な人を相手にしたくもない。

だからこそ、なにを贈るかよりも、どんなふうに贈るかが大事だと思います。他の人には真似のできない贈り方に心を砕く。そこに想いがこもる。何事にも想いをこめていくことが、自分の生きた証しなのです。

同じものを見ていても、全く違うものを見つける力は、そういうとところから生まれて育ってきます。それは人間をはじめあらゆること、ものへのつきあいかたに違いが出てきます、即物的な自分になりたくなければ、なにをするかよりもどんなふうにするかにこだわったほうがいい。

ラーメンいっぱい食べるのに、いちいち想いをこめてなんかいられないというのは、そうかも知れないが、そうしてセンスが磨かれていくことも忘れてはいけない。
ディスプレーの小物ひとつにして置き方が変わる。置き方が変わるのは、相手への気配り、アプローチが変わることに発展します。同じ商品を他店と同じように売っていても、どう売るかという点ですっかり変わり、売上の違い、リピーターの違いに変わる。

おしゃれなお店と評判のお店だったにしても、そこに働いている人がおしゃれ、センスがいいとは限らない。とんでもなく即物的でバッドセンスな人が集まっている場合だってあります。それでもなんとか評判を得ているのはマニュアルのおかげということだってあるのです。ただ指示されたように疑いもなくやっているだけ。主体性なんかどこにもなく。言われたことだけしていたらいいという考え。そんな店からは主体性のある人は去っていきます。

いいなりになってマニュアルを尊重する働き方が悪いと言っているわけではありません。それがルールなら遵守することは必要ですが、そこに主体性、つまり責任を引き受ける積極性がないとつまらないものになってしまいます。そんな店では本当の意味で責任を引き受けない人が責任者としてポジションを保てる仕組みです。店は人で決まるのでいくらでもレベルは下がっていきます。

主体性がないからセンスがいいと思われているなんて気持ちが悪くありませんか?ロボットと同じです。人と同じことをしていたら安心というのは、ほとんど依存症の世界です。

見えないものが見える人、聴こえないことが聴こえる人でいたいと思います。それがリーダーの条件です。つまり責任から逃げる人ではなく、責任をとりたい人でいたいということです。自分の世界はもっと楽しくできるのだから。

2011年1月24日月曜日

「絶対に見捨てない」という発想

「ノルウェイの森」のワタナベ君が持った直子への「絶対に見捨てないからね」という気持ち。それは愛情たっぷりで、尊いものだと思うんですよね。

古くは日本中を感動させた実話「愛と死をみつめて」に代表されるようにです。ミコ(女性)とマコ(男性)と呼び合った二人の物語。この場合はミコに「起こった「軟骨肉腫」という難病との戦いでした。阪大病院で出合ったふたりが、同志社大学、中央大学と離れ離れになりながらも、文通を絶やさず、悪くなる一方のミコを励まし続け、最期を看取るまでの物語でした。

この場合の「絶対に見捨てないからね」と、ワタナベ君の「絶対に見捨てないからね」を同じように考えるわけにはいきません。ミコは不治の病に冒され顔の半分を失いながらも、気丈に生きようとし、愛し愛される日々を精一杯に輝かせようとしました。直子には、それがあるのか、ないのか分らない。映画では性の問題のようにセリフになっていますが、直子がこだわっているのも実はそういう問題ではない。その背景にある問題を観客に考えてほしいのだろうと思います。

女性に限らず男性でも、愛しているほどセックスができないということが起こります。それは普通ではないけど、気持ちがその場から、どこかへ飛んでいってしまうのです。その、どこかで起こっている問題を解決しないと、いくら「絶対に見捨てないからね」と意気込んでも見捨てざるを得ない状況に追い込まれて、見捨てることになる。

見捨てるまで、見捨てさせようとする行為が止まらないのです。なぜなら目的が見捨てさせることにあるからです。

愛している、愛してと言いながら、その一方で見捨てさせる行為をとる。相手には「愛して」と言った事実が残り、見捨てさせる行為の「行為」だけが見えて、「見捨てさせる」気持ちが見えません。この場合の「行為」をミコの病気のようにとるから、「絶対に見捨てないからね」と考えてしまうのですが、そこが間違っているのです。

励ます点ではどちらの心情も同じですが、見捨てないことが見捨てさせようとする気持ちをエスカレートさせてしまうのです。つまり励ましている人が病原菌の役割をしてしまう。ワタナベ君がそれを知っていての慟哭なら、その後の人生で別人になってしまっても不思議ではありません。

しかし、どのような関係であっても、「絶対に見捨てない」あるいは「絶対に別れない」というのは不自然です。別れることがいいとは言わないまでも、どのようなことがあっても別れない関係とはいかなるものでしょうか。

2010年12月18日土曜日

他者否定の交流

自己否定感について、危惧される方は多いのですが、逆に他者否定についてはあまり意識されないように思います。

他者否定を自分がどのようにしているか分らないために人間関係を自ら破綻させているケースは非常に多いのです。

他者否定の交流には、主に次のようなものがあります。

責任を他に転嫁して自分の立場を守る
自分の不安や自信のなさを不平不満で覆い隠す
異性と関わった後に毎回相手を傷つけて、見捨てる
自分が援助を頼んだ相手を、窮地に追い込む
助けた相手から裏切られる
相手の過ちを見つけて執拗に責め立てる
二人以上の人々と関わると仲間割れを起こす
毎回デートの最後に喧嘩別れする

それにしても他者否定が起こる発端は、ほとんどの場合、自己否定感から始まっています。強い不安があると、自分以外に対象を見つけて、責任転嫁するのは典型的な事例です。言い訳をするときに他者のせいにするのは、よくあるケースです。

ライフスキルのひとつである批判的思考(クリティカル思考)スキルが不足しているので、強い不安や不快があると相手や環境のせいにしてしまいます。責任転嫁、他罰主義がその典型です。
何か起こった時に原因を自分の外に求めるのは珍しいことではなく、「嘘」という形で認識できます。

厄介なのはそこに、善悪や肯定・否定など白黒二分する価値観が強く入り込み葛藤が生じた場合です。

表面的には分りにくい心のトリックを「投影」という形で行われます。投影は、自分の感情を相手に投げかけて、受け取った相手の感情を相手のものとして、自分は楽になろうとするものです。

思い通りに物事が行かないときに、自分の行為の結果の重大さに圧倒されると、巧妙に自分以外の誰かのせいに仕上げて、責任、選択を自分以外の誰かや環境のせいにしてしまいます。客観的な判断ができないとストレスに耐えられずパニックになり自暴自棄的に「投影」によって不安から逃げ出して楽になろうとするのです。
感情の洪水に押し流されそうになったとき、釘がいっぱいの流木にでもすがりつくのです。

税金を未納にする人が、催促されると他にも未納者がいることを口にして逆に糾弾するのもそうです。表面では他者否定ですが、その裏では自己否定感を投影するトリックが働いているのです。

あるいは、自分が相手に好意を持っていたとして、それを何らかの事情で率直に認めることができない場合など、相手が自分に好意を持っていることに置き換えて対処する。心のキャッチボールを繰り返している内に、相手は、なんでこうなったのか、よく分からない、気がついたら立場が逆転している状態になることがあります。

人間関係の裏にあるトリックを見抜く

人間関係で悩む人は、数知れません。どうしてそんなにややこしいのでしょうか?

実は悩む裏には、巧妙なトリックがあるからなのです。
ホントは難しくないことが、難しくなるのはそのせいなのです。

ではなぜ「トリック」が仕掛けられるのか?
目的があるからです。

トリックは人為的なものです。
厄介なのは、トリックが仕掛けた本人にも意識されていない点です。
犯罪を目的としている場合は別にして、詐欺師でもないのに、わざと人間関係を悪くするなんて考えられないものです。

ところが驚いたころに、現実には、それが行われているのです。

人間関係の裏にあるトリックを見抜くことを憶えましょう。


自己否定感の強い人は自分でも感じていることが多いものですが、具体的にどのような現象を引き起こしているのか、リストアップしてみます。

泥棒に追い銭式に金銭的に損ばかりしている人
不正なことを行い懲罰を受ける状態になる人
自己憐憫の感情に浸る人
自分の能力不足を嘆き、上手に責任回避や懲罰から逃げる人
被虐的に自分の心身を痛めつける人
相手に拒絶されるような言動を繰り返し行い、見捨てられる人
他者に冷笑されるような程度の低い行動をとり、距離を置かれる人

これらは、人間関係における結末ではっきりするものですが、驚くべき点はすべて「目的」であるという点です。

損することを目的に生活している?そんなバカなと思いますが、そんなバカなことが現実に私やあなた、周りの人の間で繰り返されているのです。

自分の能力不足を嘆いている人は回りにいませんか?よく観察してみてください。
うまく責任を逃げていることが分るはずです。

でも何のために?

自分はダメな人間だと感じるためにです。
人間関係の謎を解く鍵はこの先にあります。

あなたが当たり前のことをしているのに、不愉快な気分、体験をする背景には、相手の「自分はダメな人間だと感じたい」目的が作用しているからなのです。

つまり、相手が相手に向けて出しているダメ出しを、相手に代わって引き受けてさせられているのです。他者否定感の強い人の身勝手なやり方で、つらい思いをしているというわけです。

自己否定感の強い人と他者否定感の強い人が出くわすとドンピシャで、これはもう最高のシチュエーションになり、完璧にはまるわけですが、人間関係の裏にあるトリックを見抜くスキルがあれば、はまっても、すぐに脱出できて、傷つくことはありません。


他者否定については次回にお話します。