非言語のコミュニケーションは全体の80~90%占めています。
会話は言葉のキャッチボールですが、円滑な会話では、実際には言葉が占める割合はそんなに多くはありません。
スポーツ選手がプレイ中に、観客やインタビュアーと会話することはありませんが、動作・表情・態度から、いまどんな気持ちなのかが判断できます。言葉を使わなくても相手の感情を聴くことは可能なのです。
逆に言葉を使っても、感情を込めない話し方からは気持ちを読み取ることは困難なのです。ボディランゲージが豊富な欧米人が全般に感情表現の苦手な日本人とコミュニケーションをして「何を考えているのか、分りにくい」と言うのも当然なのです。
分りにくい日本人であっても、「アイコンタクト」と「うなずき」に代表されるように、一般に私たちは「非言語」の部分から、言葉以上に沢山の量のメッセージを発信し、また受け取っています。
会話ベタという人は、何を話したらいいのか、おもしろいネタはないかと悩まれますが、会話においては「非言語」の情報が、もっとも重要なのです。会話中に「アイコンタクト」や「うなずき」のボディランゲージで反応することは、話しやすくさせます。無反応なら話を続けていいのかどうか迷わせ、相手のモチベーションを下げさせる原因になります。
コミュニケーションが苦手な人は、自身が相手に話しやすくさせる雰囲気を作っているかどうか、思い起こしてみてください。
自分が好きになった人は、重要なことは文字以外に何一つ言葉にしませんでしたが、誠実な人柄から発する「アイコンタクト」の強さと仕草で、言葉以上に確かな想いを雄弁に伝えてくれました。非言語のメッセージは隠くしようのない本音であることが多いのです。
だからといって、非言語に頼りすぎるのは、誤解のもとなので気をつけたいものです。言葉をさらに雄弁にするための補助と考えて、大事なことは誤解のないように言葉にしたいものです。非言語の部分は誤解されないように特に注意したいものです。
人柄は「非言語」のメッセージのひとつであることも忘れないようにしたいものですね。
2011年10月22日土曜日
2011年7月18日月曜日
夢ノートに書くこと
昨日は一般的に使われている手帳、つまりスケジュール帳のことを書いたので、今日は夢ノートのことを書こう。
否定的な思考、感情を肯定的な思考、感情に変えるのは肯定的な思考、感情だけだ。肯定的な思考、感情が成功を呼びこむ。成功した後にポジティブになれるわけではない。この事実を見誤っている人が多い。このシンプルな事実が分っていたら、自分の「生」を自分の内側に引き込むにはポジティブな行動をするしかないのだ。
自信とは、本来自分の内側の力によるものだ。自信のない人が外側の力、つまり他者の評価を欲しがる。それが内側の力を補強できない原因になっていて、悪循環が止まらない。自信とは自分のイメージにすぎない。内側の力に知性を足すことで内側の力は動く。知性とは本質を読み取る力、本質でコミュニケーションする力だと思う。
人生の本質は大いに楽しむことにある。楽しみと快楽は別のもので、肯定的にいまこの瞬間に没頭することが楽しみであり、否定の苦痛から逃れるために我を忘れるのが快楽だ。外側に求める快楽からは何も生まれないが、楽しみは内側の心のなかにある。
感情は、内側の力を信頼し育む者には薬になるが、そうでないものには毒として働いてしまう。肯定的な感情を目的にすると、どのような目標も失敗は不可能になるが、それ以外の扱い方をするとあらゆる面でネガティブに働いてしまい人生の本質から遠のく結果になる。その選択は自分に与えられている点に注目したい。
たとえば金持ちになりたいという目標の先には、安心したいとか、家族を楽にさせてやりたいとか、感情が潜んでいる。これが真の目的だ。お金は持ちたい感情を実現するツールでしかない。恋愛感情も同じで必ずしもその人でなければならない理由はない。その人と共に過ごすことで得られる感情は誰でもいいというわけではないが、他の人からも得ることはできる。
むしろ、そのことに取り組む自分の心の在り方が重要で、目的と目標を明確にしてポジティブな感情で行動していると結果もポジティブだ。目的と目標を曖昧にしてネガティブであるほどに結果も芳しくなく。ネガティブだとPDCAのプロセスが回せない。PDCAのプロセスの途中で停止してしまう。
目標達成はPDCAを迅速にグルグル回すしかない。これについてはアホも天才もない。みんな同じだ。グズな人の欠点は遅すぎて、回す頻度が少ないので進まないことだ。
芳しい兆候が見えてこないので、楽しくなくなりプロセスのどこかで停止してしまう。つまり感情的な行動で機能停止状態にしてしまうのだ。
無心になると、感情は顔を出さない。楽しくやれたら疲れもないが、楽しめないのなら無心になることだ。そうするといまこの瞬間に没頭できる。無心になれないときには、達成したときのよろこびを想像しよう。それは力になる。忘れたらまた達成したときのよろこびを想像する。繰り返す、何度でも繰り返す。その役目をしているのが「夢ノート」だ。身近なところに置いて一日に何度も繰り返して読む。
達成したいこととそのときに味わいたい感情を読む直す。その元気でPDCAを迅速にグルグル回す。PDCAを迅速にグルグル回すために一日に何度も夢ノートを繰り返して読む。
夢ノートには、達成したいこと、達成する期限、達成したときのよろこびの感情が書いてある。
否定的な思考、感情を肯定的な思考、感情に変えるのは肯定的な思考、感情だけだ。肯定的な思考、感情が成功を呼びこむ。成功した後にポジティブになれるわけではない。この事実を見誤っている人が多い。このシンプルな事実が分っていたら、自分の「生」を自分の内側に引き込むにはポジティブな行動をするしかないのだ。
自信とは、本来自分の内側の力によるものだ。自信のない人が外側の力、つまり他者の評価を欲しがる。それが内側の力を補強できない原因になっていて、悪循環が止まらない。自信とは自分のイメージにすぎない。内側の力に知性を足すことで内側の力は動く。知性とは本質を読み取る力、本質でコミュニケーションする力だと思う。
人生の本質は大いに楽しむことにある。楽しみと快楽は別のもので、肯定的にいまこの瞬間に没頭することが楽しみであり、否定の苦痛から逃れるために我を忘れるのが快楽だ。外側に求める快楽からは何も生まれないが、楽しみは内側の心のなかにある。
感情は、内側の力を信頼し育む者には薬になるが、そうでないものには毒として働いてしまう。肯定的な感情を目的にすると、どのような目標も失敗は不可能になるが、それ以外の扱い方をするとあらゆる面でネガティブに働いてしまい人生の本質から遠のく結果になる。その選択は自分に与えられている点に注目したい。
たとえば金持ちになりたいという目標の先には、安心したいとか、家族を楽にさせてやりたいとか、感情が潜んでいる。これが真の目的だ。お金は持ちたい感情を実現するツールでしかない。恋愛感情も同じで必ずしもその人でなければならない理由はない。その人と共に過ごすことで得られる感情は誰でもいいというわけではないが、他の人からも得ることはできる。
むしろ、そのことに取り組む自分の心の在り方が重要で、目的と目標を明確にしてポジティブな感情で行動していると結果もポジティブだ。目的と目標を曖昧にしてネガティブであるほどに結果も芳しくなく。ネガティブだとPDCAのプロセスが回せない。PDCAのプロセスの途中で停止してしまう。
目標達成はPDCAを迅速にグルグル回すしかない。これについてはアホも天才もない。みんな同じだ。グズな人の欠点は遅すぎて、回す頻度が少ないので進まないことだ。
芳しい兆候が見えてこないので、楽しくなくなりプロセスのどこかで停止してしまう。つまり感情的な行動で機能停止状態にしてしまうのだ。
無心になると、感情は顔を出さない。楽しくやれたら疲れもないが、楽しめないのなら無心になることだ。そうするといまこの瞬間に没頭できる。無心になれないときには、達成したときのよろこびを想像しよう。それは力になる。忘れたらまた達成したときのよろこびを想像する。繰り返す、何度でも繰り返す。その役目をしているのが「夢ノート」だ。身近なところに置いて一日に何度も繰り返して読む。
達成したいこととそのときに味わいたい感情を読む直す。その元気でPDCAを迅速にグルグル回す。PDCAを迅速にグルグル回すために一日に何度も夢ノートを繰り返して読む。
夢ノートには、達成したいこと、達成する期限、達成したときのよろこびの感情が書いてある。
2011年7月17日日曜日
自分にしっかりコミュニケーション
結果をきちんと出そうと意識して毎日を暮らしている人がいます。
その一方で努力して暮らしている人がいます。
それぞれ目的が違います。
結果を出すことと、努力することとは似ているようでも気持ちのあり方は全く違います。
前者は成果主義、後者を結果主義と呼んでいます。
主にサラリーマンには、結果を出すことよりも、努力していることを認めてほしい人が多いと言われますが、経営トップや自営業者にもそういう方は少なくありません。その逆もあります。どちらにしても生き様の心根が全然違ってきます。
人は意識しないことはできないようにできています。
手帳の使い方も成果主義、結果主義では違ってきますが、スケジュールを書き込むものだと思っているので、具体的にどう違うのか、よく解らないようです。
夢を実現するために手帳は大いに役立つツールですが、決意の違いも、成果主義、結果主義に通じる点があり、それぞれ使い方は違います。
手帳はスケージュール帳でもあるが、その意味ではマイルストーンを整理するものです。それを書かずしてスケージュールを書き込んでも、素晴らしい効果は得られないので、手帳はテレビ並みの楽しみも味わえない。
使い方で手帳は、あらゆるメディアを凌駕する。当たり前だ。自分のワクワクがつまったガイドブックであり、自分研究ノートだ。これが面白くないはずがない。もし面白くないのなら、自分の生活が楽しくないからだ。
とにかくPDCAが行動では大事。手帳には計画を書きますが、計画には活動の目標と結果の目標があることを認識しておき、それぞれのフォローをすることが大事。
活動の反省は文字量が多いので、日記でしています。結果の目標の進行状況は、次の一歩の原因になるので、手帳に書き込みます。だから手帳は毎日更新が原則になり紙面は汚れます。考えている最中にできる汚れは気にならないが、その結果の整理されたスケジュールはスッキリがいい。そこで結果はiPhoneに送ってしまうことで、アラームもできる。アラームの重要は、いますることに集中できるように、忘れることにあるのです。
そしてなにより完璧主義を笑い飛ばした上で次のことを実行する
・期限を切った感情の目的、行動結果の目標を設定。
・いますぐ実行してPDCAする。
・大きな目標はマイルストーンを設定して、今日の分は今日達成する
・自分が失敗したと思わない限り失敗はない
ダイナミックな目的と行動。実はコツコツなんだけど、その日その日は全速力。
誰にでも、いろんな感情があるけれど、感情も主義も手帳で育てることが出来る。成果主義、結果主義どちらを選ぶか、それも個人が決めることです。
あなたの手帳のポリシーは成果主義?結果主義?どっちかな。手帳は自分にしっかりコミュニケーションツールです。
その一方で努力して暮らしている人がいます。
それぞれ目的が違います。
結果を出すことと、努力することとは似ているようでも気持ちのあり方は全く違います。
前者は成果主義、後者を結果主義と呼んでいます。
主にサラリーマンには、結果を出すことよりも、努力していることを認めてほしい人が多いと言われますが、経営トップや自営業者にもそういう方は少なくありません。その逆もあります。どちらにしても生き様の心根が全然違ってきます。
人は意識しないことはできないようにできています。
手帳の使い方も成果主義、結果主義では違ってきますが、スケジュールを書き込むものだと思っているので、具体的にどう違うのか、よく解らないようです。
夢を実現するために手帳は大いに役立つツールですが、決意の違いも、成果主義、結果主義に通じる点があり、それぞれ使い方は違います。
手帳はスケージュール帳でもあるが、その意味ではマイルストーンを整理するものです。それを書かずしてスケージュールを書き込んでも、素晴らしい効果は得られないので、手帳はテレビ並みの楽しみも味わえない。
使い方で手帳は、あらゆるメディアを凌駕する。当たり前だ。自分のワクワクがつまったガイドブックであり、自分研究ノートだ。これが面白くないはずがない。もし面白くないのなら、自分の生活が楽しくないからだ。
とにかくPDCAが行動では大事。手帳には計画を書きますが、計画には活動の目標と結果の目標があることを認識しておき、それぞれのフォローをすることが大事。
活動の反省は文字量が多いので、日記でしています。結果の目標の進行状況は、次の一歩の原因になるので、手帳に書き込みます。だから手帳は毎日更新が原則になり紙面は汚れます。考えている最中にできる汚れは気にならないが、その結果の整理されたスケジュールはスッキリがいい。そこで結果はiPhoneに送ってしまうことで、アラームもできる。アラームの重要は、いますることに集中できるように、忘れることにあるのです。
そしてなにより完璧主義を笑い飛ばした上で次のことを実行する
・期限を切った感情の目的、行動結果の目標を設定。
・いますぐ実行してPDCAする。
・大きな目標はマイルストーンを設定して、今日の分は今日達成する
・自分が失敗したと思わない限り失敗はない
ダイナミックな目的と行動。実はコツコツなんだけど、その日その日は全速力。
誰にでも、いろんな感情があるけれど、感情も主義も手帳で育てることが出来る。成果主義、結果主義どちらを選ぶか、それも個人が決めることです。
あなたの手帳のポリシーは成果主義?結果主義?どっちかな。手帳は自分にしっかりコミュニケーションツールです。
2011年7月1日金曜日
深くて強い愛情があっても別れることはある。
不幸にして片親に育てられたり、苦労して育っていると、とても忠実で、恋人や結婚相手を裏切らない人が多い。いい恋愛や結婚の必要条件だが、限度があることは知っておいたほうがいいようです。
お互いの限度はふたりの間で取り決めるのが一番いい。
出会って、恋人の関係になっても、初めの頃って、違う恋人を持っていたりすることもあります。その時に、漠然とではなく、パートーナーシップをふたりで決めるとは心で感じる信頼関係を作るうえで効果的です。。
そうして、いったん決めたらお互いに約束を守ることが大切です。
たとえば、デイトの約束に5分遅れただけでもヒステリックになる人と、時間の観念が曖昧な人の組み合わせなら、お互いの認識と調節が必要です。
アサーティブになれば、これが重要なことですが、率直、誠実、対等、自己責任の四本柱を守って、互いを尊重して意見を交換すると、調整ができます。もし遅れる場合はどうするとか、それでもうまくいかないときはどうするとか、話合って接点を見つけることができるでしょう。
「絶対見捨てない」「絶対に裏切らない」という切実なまでの決意は大切ですが、過度な忠実さは現実的ではないないのです。ふたりは孤島に暮らしているわけではなく、他者と混じって暮らしています。何があるかも分らないし、どんな影響を受けるかも分らない。
過度に忠実でありたいと思う人には共通した特徴があって、すでに終わっている関係、くされ縁にも終止符が打てないことです。その裏には喪失体験が働いていて、新たな喪失体験をしたくない思いが強いのです。結局新しい喪失を先のばしにするだけになる場合が少なくありません。
それでもいいと考えるのも価値観ですが、決して健康とはいえないのです。人はいまこの瞬間を生きることが自分を活かす上で大切です。それができなくなります。つまり現実逃避を繰り返すだけになり、徐々に現実から遠のき、心がぼやけてしまいます。自分の心も、他者の心も見えなくなるのです。
愛情は永遠ではない。こんなことは理屈で考えたら分かることです。永遠でないものを長続きさせるには、毎日新鮮な空気を送り込み、活動させることは欠かせないのです。放置したら、元気で生き生きしていた愛情もくたばってしまいます。
ところが、くたばってしまった関係をいじくるのが好きな人がいるのです。「絶対見捨てない」「絶対に裏切らない」と決め付ける過度に忠実な人にもその傾向は強いのです。結局、本当のところ、別れたくないのに、別れたいと思っている状態が好きだとか、別れたいのに、別れたくない思っているのが好きなのです。自分の真実に反対なことをする人です。
自分に誠実でない忠実って、まず自分とのコミュニケーションが断絶しているのです。ですから相手にも誠実ではありません。だからこういう人は冒頭に言ったようにアサーティブになれない。お互いの限度はふたりの間で取り決めるのが一番なのに、取り決めをしようとしません。
以前、交際していた女性と一週間に何度会うか、取り決めをしようとしたら、「週に3日がいい」って言うので、自分も都合が良かったので、賛成したら、その程度にしか自分を愛していないのかとヒステリックに怒られました。女心を読めという問題のようですが、アサーティブでないコミュニケーションを繰り返していると、お互いに尊重できなくなってしまいます。どのように、いまこの瞬間に、しっかり覚醒して生きるかが大事なのです。
自分の真実に反対なことをする人は、幼いときから、不足を願望に変えて、「もし、○○だったら、できるのに」というような考え方を繰り返してきた可能性があります。このパターンはとっても危険です。
「なるほどその通りです。しかし現状は○○です。もし○○だったら、できるのに」これではいつまでも実行が起こりません。自分はこれを「YES,BUT,IF(なるほど、しかし、もし)」・・・悪魔の構文と呼んでいます。ビジネスの現場では年中出会う話し方です。楽しくなくなる瞬間です。
「絶対見捨てない」「絶対に裏切らない」という切実な決意は、実行することで、花開かせてください。相手に対する態度を決め付ける前に自分とのコミュニケーションをしましょう。
お互いの限度はふたりの間で取り決めるのが一番いい。
出会って、恋人の関係になっても、初めの頃って、違う恋人を持っていたりすることもあります。その時に、漠然とではなく、パートーナーシップをふたりで決めるとは心で感じる信頼関係を作るうえで効果的です。。
そうして、いったん決めたらお互いに約束を守ることが大切です。
たとえば、デイトの約束に5分遅れただけでもヒステリックになる人と、時間の観念が曖昧な人の組み合わせなら、お互いの認識と調節が必要です。
アサーティブになれば、これが重要なことですが、率直、誠実、対等、自己責任の四本柱を守って、互いを尊重して意見を交換すると、調整ができます。もし遅れる場合はどうするとか、それでもうまくいかないときはどうするとか、話合って接点を見つけることができるでしょう。
「絶対見捨てない」「絶対に裏切らない」という切実なまでの決意は大切ですが、過度な忠実さは現実的ではないないのです。ふたりは孤島に暮らしているわけではなく、他者と混じって暮らしています。何があるかも分らないし、どんな影響を受けるかも分らない。
過度に忠実でありたいと思う人には共通した特徴があって、すでに終わっている関係、くされ縁にも終止符が打てないことです。その裏には喪失体験が働いていて、新たな喪失体験をしたくない思いが強いのです。結局新しい喪失を先のばしにするだけになる場合が少なくありません。
それでもいいと考えるのも価値観ですが、決して健康とはいえないのです。人はいまこの瞬間を生きることが自分を活かす上で大切です。それができなくなります。つまり現実逃避を繰り返すだけになり、徐々に現実から遠のき、心がぼやけてしまいます。自分の心も、他者の心も見えなくなるのです。
愛情は永遠ではない。こんなことは理屈で考えたら分かることです。永遠でないものを長続きさせるには、毎日新鮮な空気を送り込み、活動させることは欠かせないのです。放置したら、元気で生き生きしていた愛情もくたばってしまいます。
ところが、くたばってしまった関係をいじくるのが好きな人がいるのです。「絶対見捨てない」「絶対に裏切らない」と決め付ける過度に忠実な人にもその傾向は強いのです。結局、本当のところ、別れたくないのに、別れたいと思っている状態が好きだとか、別れたいのに、別れたくない思っているのが好きなのです。自分の真実に反対なことをする人です。
自分に誠実でない忠実って、まず自分とのコミュニケーションが断絶しているのです。ですから相手にも誠実ではありません。だからこういう人は冒頭に言ったようにアサーティブになれない。お互いの限度はふたりの間で取り決めるのが一番なのに、取り決めをしようとしません。
以前、交際していた女性と一週間に何度会うか、取り決めをしようとしたら、「週に3日がいい」って言うので、自分も都合が良かったので、賛成したら、その程度にしか自分を愛していないのかとヒステリックに怒られました。女心を読めという問題のようですが、アサーティブでないコミュニケーションを繰り返していると、お互いに尊重できなくなってしまいます。どのように、いまこの瞬間に、しっかり覚醒して生きるかが大事なのです。
自分の真実に反対なことをする人は、幼いときから、不足を願望に変えて、「もし、○○だったら、できるのに」というような考え方を繰り返してきた可能性があります。このパターンはとっても危険です。
「なるほどその通りです。しかし現状は○○です。もし○○だったら、できるのに」これではいつまでも実行が起こりません。自分はこれを「YES,BUT,IF(なるほど、しかし、もし)」・・・悪魔の構文と呼んでいます。ビジネスの現場では年中出会う話し方です。楽しくなくなる瞬間です。
「絶対見捨てない」「絶対に裏切らない」という切実な決意は、実行することで、花開かせてください。相手に対する態度を決め付ける前に自分とのコミュニケーションをしましょう。
2011年6月13日月曜日
恋する力
恋は大きく分けて2種類しかない。
相手を幸福にしたいと思って始まる恋
幸福にしてほしいと思って始まる恋
こんなに簡単なことなのに、ストーカーなどややこしい事件になるのは、両者が幸福にしてほしいと思っているからだろう。 相手を幸福にしたいと思っていたら事件になりようがない。幸福にしたいと思っていたら、失恋させたら痛むが、 失恋しても痛みが続くこともない。寂しくなることはあっても、相手のためなのだから納得する。一貫してポジティブなのだ。
交際中に、相手の想いが見極められないのは自分のことばかり心配しているからだ。そうすると他の異性に目が行くのは当たり前で心が離れるのも成り行きだ。
相手が自分を幸せにしたいと思っているのか、あるいは幸せにしてほしいと思っているのか判断するのは相手を見ていたら分かる。それも分からない恋なら、恋する資格はない。恋する以前に他者への思いやりについて学ぶべきである。他者への思いやりが働かない者が自分以外の人を愛せるわけがない。
幸福にしたいと思っている者も、幸福にしてほしいと思っている者も、「君を幸福にしたい」というが、他者への思いやりが働く者には、それが本当かどうかはすぐに分かる。
「国民のために全身全霊で頑張りたい」と言う総理大臣と同じだ。軽々しく言う総理大臣もいれば、心からそうしたいと思う総理大臣もいるが、メッキがはがれるのに時間はかからない。権力を握れば強欲さが顔を出す。
恋愛も同じで主導権が移ればメッキがはがれる。しかし、それでは遅い。幸せにしてあげたいと両者が思い合えるには、両者が、あるいは片方が自分の抱えている未処理の問題を解決できていないとできないことだ。ところが未処理の問題を解決するために恋愛するのがほとんどだ。
「なんで、彼女が好きなの?」「好きに理由なんかありません。」
もっともだ。
しかし、本人もよく知らない心の奥にはちゃんと自分の事情があるし、同じように相手にも事情がある。
この事情こそが恋愛の動機であり、相手を受け入れるか、受け入れないか、決定的な理由になる。それが相手を知るということであり、自分を知ることだ。相手を知らずに「好きに理由なんかありません。」というのは理由の意味が混同されている。
自分を知ることも、相手を知ることもなく、知ろうする意欲もないままにする恋愛は狂気でしかない。気になることは相手は自分を愛しているかどうかというだけなら、永遠に同じ風が吹いているかを確かめたいというのと同じだ。
では、幸福にしてほしいと思うばかりの者と、相手を幸福にしたいと思っている者の場合はどうか?親子にも似たような関係であればそれもよしだが、当人の錯覚にすぎない場合は共依存になる。
さて、幸福とはなにか?
人によってその定義は様々でも、そのいずれもが健全に機能していることを条件にしていることに間違いはないだろう。
つまり結婚とは、機能している健全な家庭を築くことである。それには当人たちが健全に機能していることが前提条件である。相手が機能するように互いにサポートしながら二人で機能している健全な家庭を築くプロセスこそが幸福なのだ。
幸福にしてほしいと思って始まる恋が、場当たり的に幸福にしてほしいと思っているだけならディズニーランドで過ごすことと変わらない。

相手を幸福にしたいと思って始まる恋
幸福にしてほしいと思って始まる恋
こんなに簡単なことなのに、ストーカーなどややこしい事件になるのは、両者が幸福にしてほしいと思っているからだろう。 相手を幸福にしたいと思っていたら事件になりようがない。幸福にしたいと思っていたら、失恋させたら痛むが、 失恋しても痛みが続くこともない。寂しくなることはあっても、相手のためなのだから納得する。一貫してポジティブなのだ。
交際中に、相手の想いが見極められないのは自分のことばかり心配しているからだ。そうすると他の異性に目が行くのは当たり前で心が離れるのも成り行きだ。
相手が自分を幸せにしたいと思っているのか、あるいは幸せにしてほしいと思っているのか判断するのは相手を見ていたら分かる。それも分からない恋なら、恋する資格はない。恋する以前に他者への思いやりについて学ぶべきである。他者への思いやりが働かない者が自分以外の人を愛せるわけがない。
幸福にしたいと思っている者も、幸福にしてほしいと思っている者も、「君を幸福にしたい」というが、他者への思いやりが働く者には、それが本当かどうかはすぐに分かる。
「国民のために全身全霊で頑張りたい」と言う総理大臣と同じだ。軽々しく言う総理大臣もいれば、心からそうしたいと思う総理大臣もいるが、メッキがはがれるのに時間はかからない。権力を握れば強欲さが顔を出す。
恋愛も同じで主導権が移ればメッキがはがれる。しかし、それでは遅い。幸せにしてあげたいと両者が思い合えるには、両者が、あるいは片方が自分の抱えている未処理の問題を解決できていないとできないことだ。ところが未処理の問題を解決するために恋愛するのがほとんどだ。
「なんで、彼女が好きなの?」「好きに理由なんかありません。」
もっともだ。
しかし、本人もよく知らない心の奥にはちゃんと自分の事情があるし、同じように相手にも事情がある。
この事情こそが恋愛の動機であり、相手を受け入れるか、受け入れないか、決定的な理由になる。それが相手を知るということであり、自分を知ることだ。相手を知らずに「好きに理由なんかありません。」というのは理由の意味が混同されている。
自分を知ることも、相手を知ることもなく、知ろうする意欲もないままにする恋愛は狂気でしかない。気になることは相手は自分を愛しているかどうかというだけなら、永遠に同じ風が吹いているかを確かめたいというのと同じだ。
では、幸福にしてほしいと思うばかりの者と、相手を幸福にしたいと思っている者の場合はどうか?親子にも似たような関係であればそれもよしだが、当人の錯覚にすぎない場合は共依存になる。
さて、幸福とはなにか?
人によってその定義は様々でも、そのいずれもが健全に機能していることを条件にしていることに間違いはないだろう。
つまり結婚とは、機能している健全な家庭を築くことである。それには当人たちが健全に機能していることが前提条件である。相手が機能するように互いにサポートしながら二人で機能している健全な家庭を築くプロセスこそが幸福なのだ。
幸福にしてほしいと思って始まる恋が、場当たり的に幸福にしてほしいと思っているだけならディズニーランドで過ごすことと変わらない。

2011年5月27日金曜日
やさしさ上手
健康で大人として機能している人は、他人を盲目的に信じることも、反対に頭から疑うこともしません。中間に立つグレーな感じです。こういう人は、まず自分と自分の感覚を信じます。
その内的な感覚を大切にして、そこから相手が信用できるかどうかを判断をスタートさせ、判断する材料を求める一方で、自分の判断も強めていきます。
時には判断を間違うこともありますが、間違ったにしても、それが原因「人は信用できない」と極端に傾くこともありません。
これが健全な人の状態です。
ところがある種の人は、思うように人を信用することができません。思うようにとは、思いたいけれど、いざとなると出来ないのです。つまり愛した人に対しても同じだということです。
このため、疑いの気持ちが消えず執拗に確かめようとします。
それは自分を守る上で欠かせないスキルだったのです。だから今日まで無事に生き抜けたと信念化した無意識があります。
否認だらけの機能していない家族で育ったために、自分の感覚や感情、考えを容易に頼りにできないのです。親の反応が予測不能で一貫性を欠いていて、気まぐれにかわいがられたり叱られたりしたため、
他人を信じられなくなってじまったのです。アルコール依存症の親はその典型で、アルコール依存症の親を持った人は、その気まぐれに「不信」という深い傷を負っていることが少なくありません。
可愛がるかと思うと、数分後には別人になるという体験を繰り返し、繰り返ししてきたら、目の前で起こっていることが信じられなくなっても当然なのです。
そのせいで、成人して親しい間柄になっても、自分の気持や考えを信じられず、伝えることに過度に不安になっているのです。心のなかをさらけ出したら傷つけられるか見捨てられるかのどちらかだと思ってしまうからです。
落語に正式なタイトルは忘れましたが「饅頭怖い」というのがあります。
男が集まって饅頭の話をしていると、ひとりの男が「饅頭の話をしているだけで気分が悪くなった」と言い出し、隣の部屋で寝てしまいます。
そこで皆は「あいつを饅頭攻めにしていじめてやろう」と金を出し合い、饅頭をたくさん買いこん男が寝ている部屋に投げ込みます。すると目覚めた男は怖がりながらも「ああ怖い、怖い。こんな怖いものは食べちまって無くしてしまえ」と言って饅頭を全部食べてしまいます。
いたずらした側の連中は、覗き見で様子を伺っていましたが、どうも様子がヘンだと考え、一杯食わされたことに気付きます。怒った連中は「本当のお前の怖いものは何だ!」と聞くと・・・・今度は「このへんで濃いお茶が一番怖い」とオチがつきます。
コミュニケーションに悩む人の場合では、オチの部分がなく、このように自分が好きなものを伝えると奪われて、自由を失うと考えてしまうのです。それは親との関係で学んだ結果で、理屈ではなく身にしみこんでいるのです。体罰として食事を与えてもらえなかった子供のことを思い浮かべてください。
目の前で親は自分の好物の料理を食べ、自分には与えられず空腹を我慢する。こういう体験をしてきた人が、まるで感情がないかのようにふるまうことがあっても決して不思議ではないのです。
身体の障害は目につき判断もできます。心の障害はなかなか分りません。あの人変わってるというのは、簡単ですがその言葉や態度が無神経に傷つけていることも少なくありません。
やさしさ上手になりたいものです。

その内的な感覚を大切にして、そこから相手が信用できるかどうかを判断をスタートさせ、判断する材料を求める一方で、自分の判断も強めていきます。
時には判断を間違うこともありますが、間違ったにしても、それが原因「人は信用できない」と極端に傾くこともありません。
これが健全な人の状態です。
ところがある種の人は、思うように人を信用することができません。思うようにとは、思いたいけれど、いざとなると出来ないのです。つまり愛した人に対しても同じだということです。
このため、疑いの気持ちが消えず執拗に確かめようとします。
それは自分を守る上で欠かせないスキルだったのです。だから今日まで無事に生き抜けたと信念化した無意識があります。
否認だらけの機能していない家族で育ったために、自分の感覚や感情、考えを容易に頼りにできないのです。親の反応が予測不能で一貫性を欠いていて、気まぐれにかわいがられたり叱られたりしたため、
他人を信じられなくなってじまったのです。アルコール依存症の親はその典型で、アルコール依存症の親を持った人は、その気まぐれに「不信」という深い傷を負っていることが少なくありません。
可愛がるかと思うと、数分後には別人になるという体験を繰り返し、繰り返ししてきたら、目の前で起こっていることが信じられなくなっても当然なのです。
そのせいで、成人して親しい間柄になっても、自分の気持や考えを信じられず、伝えることに過度に不安になっているのです。心のなかをさらけ出したら傷つけられるか見捨てられるかのどちらかだと思ってしまうからです。
落語に正式なタイトルは忘れましたが「饅頭怖い」というのがあります。
男が集まって饅頭の話をしていると、ひとりの男が「饅頭の話をしているだけで気分が悪くなった」と言い出し、隣の部屋で寝てしまいます。
そこで皆は「あいつを饅頭攻めにしていじめてやろう」と金を出し合い、饅頭をたくさん買いこん男が寝ている部屋に投げ込みます。すると目覚めた男は怖がりながらも「ああ怖い、怖い。こんな怖いものは食べちまって無くしてしまえ」と言って饅頭を全部食べてしまいます。
いたずらした側の連中は、覗き見で様子を伺っていましたが、どうも様子がヘンだと考え、一杯食わされたことに気付きます。怒った連中は「本当のお前の怖いものは何だ!」と聞くと・・・・今度は「このへんで濃いお茶が一番怖い」とオチがつきます。
コミュニケーションに悩む人の場合では、オチの部分がなく、このように自分が好きなものを伝えると奪われて、自由を失うと考えてしまうのです。それは親との関係で学んだ結果で、理屈ではなく身にしみこんでいるのです。体罰として食事を与えてもらえなかった子供のことを思い浮かべてください。
目の前で親は自分の好物の料理を食べ、自分には与えられず空腹を我慢する。こういう体験をしてきた人が、まるで感情がないかのようにふるまうことがあっても決して不思議ではないのです。
身体の障害は目につき判断もできます。心の障害はなかなか分りません。あの人変わってるというのは、簡単ですがその言葉や態度が無神経に傷つけていることも少なくありません。
やさしさ上手になりたいものです。

2011年4月30日土曜日
ストレス
ストレスというのは、悪いことのように考えられるけれど、そんなことはないんですよね。
幸福になろうとしたら、ストレスの嵐の連続みたいなものです。
だって、好きな人がいて、告白しようとしたら、フツーの人ならストレスが来る。好きなほど強いストレスが襲来する。それを嫌って抑圧したら、やっぱりストレスに攻撃される。だったら恋をしなければどうだということになるが、それも寂しくてストレスになる。
恋愛がうまくいかない人は、ストレスとのつきあい方がまずいんですよね。とってもネガティブな扱いをして、ネガティブなコミュニケーションをする。その方が楽だからね。でも自分が楽した分、相手のストレスになることを忘れてはいけない。
ポジティブな方が本当は大変なんですよね。 ビジネスもそうだけど、恋愛は50%自分、相手50%が基本だからね。お互い別人格であることを忘れずに境界をしっかり守ってほしい。恋愛の魅力は甘えられることにあるのは間違いない。だからと言って、ことが終わった後に「人生よろしくね。」って言われたら引いてしまう。いくら好きでも冷めてしまう。責任とるのが嫌ではなくて、自分のことを自分でケアする気のなさに嫌になる。自分の責任引き受けて生きてる人間なら誰だって「コイツなんだ」と思うはず。
逆に自分の責任を引き受けて健気に生きてるから、「ああ、助けてあげたいな。オレもしんどいけど、コイツのためなら無理してもいい。」と思うわけで、そこで互いに成長する動機ができて、目標ができてくる。それはストレスを苦にしない状態です。ストレスを我慢するのではなく、楽しめる状態。それを続けられることが結婚ということだ。だから「結婚しています」は過去形でなく、現在進行形なんだよね。
結婚している人を好きになって告白したら、「私、結婚しています」って言われるだろうけれど、その意味が「もう無理です」という意味なのか、「現在、他の人のためにがんばっています」と意味なのか、それは当人にしか分からない。でも「現在、他の人のためにがんばっています」という意味なら、応援したくなるのが本当の恋心だと思う。だから清算されていない不倫って快楽だけを求めた行為でしかない。
愛することは、成就していても、見込みがなくても同じことです。恋の思いが叶う見込みがなくてもストレスを楽しめる状態にあるとき、好きを超えて愛している状態になる。ストレスに負けるようなら恋でも愛でもなく、それは依存という。 ワインのブランドにこだわる一方で、人間を酒やワインと同じレベルに扱って、「好き」なんて言うもんではない。

幸福になろうとしたら、ストレスの嵐の連続みたいなものです。
だって、好きな人がいて、告白しようとしたら、フツーの人ならストレスが来る。好きなほど強いストレスが襲来する。それを嫌って抑圧したら、やっぱりストレスに攻撃される。だったら恋をしなければどうだということになるが、それも寂しくてストレスになる。
恋愛がうまくいかない人は、ストレスとのつきあい方がまずいんですよね。とってもネガティブな扱いをして、ネガティブなコミュニケーションをする。その方が楽だからね。でも自分が楽した分、相手のストレスになることを忘れてはいけない。
ポジティブな方が本当は大変なんですよね。 ビジネスもそうだけど、恋愛は50%自分、相手50%が基本だからね。お互い別人格であることを忘れずに境界をしっかり守ってほしい。恋愛の魅力は甘えられることにあるのは間違いない。だからと言って、ことが終わった後に「人生よろしくね。」って言われたら引いてしまう。いくら好きでも冷めてしまう。責任とるのが嫌ではなくて、自分のことを自分でケアする気のなさに嫌になる。自分の責任引き受けて生きてる人間なら誰だって「コイツなんだ」と思うはず。
逆に自分の責任を引き受けて健気に生きてるから、「ああ、助けてあげたいな。オレもしんどいけど、コイツのためなら無理してもいい。」と思うわけで、そこで互いに成長する動機ができて、目標ができてくる。それはストレスを苦にしない状態です。ストレスを我慢するのではなく、楽しめる状態。それを続けられることが結婚ということだ。だから「結婚しています」は過去形でなく、現在進行形なんだよね。
結婚している人を好きになって告白したら、「私、結婚しています」って言われるだろうけれど、その意味が「もう無理です」という意味なのか、「現在、他の人のためにがんばっています」と意味なのか、それは当人にしか分からない。でも「現在、他の人のためにがんばっています」という意味なら、応援したくなるのが本当の恋心だと思う。だから清算されていない不倫って快楽だけを求めた行為でしかない。
愛することは、成就していても、見込みがなくても同じことです。恋の思いが叶う見込みがなくてもストレスを楽しめる状態にあるとき、好きを超えて愛している状態になる。ストレスに負けるようなら恋でも愛でもなく、それは依存という。 ワインのブランドにこだわる一方で、人間を酒やワインと同じレベルに扱って、「好き」なんて言うもんではない。

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