2016年1月24日日曜日

ケンカをふっかける女性の切ない心理



▪️好きの反動で、なぜ痛めつけるの

いつも一緒にいたいからこそ、喧嘩をふっかける心理は、普通の人には謎ですが、実際には少なくないのは、頭のなかが大好きな人でいっぱいなのと逆に自分に自信がないのが交錯しているからです。

「自分に自信がない」とは、「自分の本性が知られると嫌われる」という思いです。本性は人それぞれですが、もっとも特長的なのは「恋愛依存症」です。恋愛依存症とは、愛されたい、気にしてほしい、というのが先立って相手を思う気持ちが稀薄なのが特長です。

反動形成は依存の証というのは、いまひとつわかりにくい仕組みですが、その仕組みを解き明かしましょう。

いつも一緒にいたいのは依存の証ですが、喧嘩をふっかけるは反動形成です。素直になれないのは、反動形成でいわゆる「ツン」がそうなのですが、ツンだけでは愛されている実感が弱いので、さらに相手を怒らせるようなことをします。

それによってお互いが相手と向き合う状態になれます。このようにして向き合うことは決して心地の良いものではなく、強いストレスになります。このストレスのせいで頭がいっぱいになるので愛情だと感じてしまうのです。なにもないよりは怒ってもらえる方がマシだと思えるのです。これが依存が現れた状態です。さらに喧嘩の後には『仲直り』があります。この仲直りの瞬間に強い愛を感じると錯覚をおこします。

ネガティブな感情が頭の中でいっぱいになってしまう状態では、ふたりで育むという信頼関係を築くことがなかなかできません。

望んでいることは、もちろん裏切りのない「永遠の愛」ですが、
いつか見捨てられるなら早い方がいい!と言わんばかりに、白か黒かという両極端な選択をしてしまうので、完璧な信頼のもとに 「一生ずっと一緒にいてくれる」か「別れる」かを今すぐ結論を出したい衝動に駆られてテスティングを繰り返すのです。

このくり返しは当然、ふたりの間に溝を作り、やがて大きな溝に拡張するで、関係性が徐々に悪くなりますが、当人は無意識ですので、気がつきません。溝がだんだん広がっても向かい合っていることが愛されている実感だと受け取ってしまうのです。


▪️ラケットという魔法が大切な関係を破壊する

この仕組みの根源は、親に十分愛されなかった体験が影響しています。豊かな愛情とはどんなものなのか分からないのです。代わりに生育期の体験を通してマスターしたのが「ラケット」です。不快な感情が‘主導権を握れば、人間関係がこじれてくることは、いうまでもありません。

ラケットは、「いま、ここ」にふさわしくないときに起こるので、心のギャングといわれるほどですが、その裏には相手を変える企みがあります。幼児はふだんから親を意のままに動かしたいと思っているものですが、なにかのタイミングで癇癪を起こしたところ、期待通りに親が折れて、自分の願いが通ることを体験するとこの子は癇癪に特別な力があると思います。それまで自分を振向きもしなかった親が、あれこれと心配してくれるようになったとします。すると、この子は親の注目を浴びるには、不快な感情が有効だと知るのです。

この方法を成人して恋愛に持ち込むと、相手にいつも注目してもらい、自分のことで頭をいっぱいにしてほしいと不快な感情を使うために喧嘩をふっかけて怒らせるのです。お互いに好き同士ならこんなことしなくていいのですが、自分がコントロールしないで、普通にしていたら注目してもらえないと考えるのです。つまりその裏には自信のなさがあるのです。

コントロールするからいつまでも自信がもてなくなるのです。コントロールしなくてもあなたは愛されるのです。

小さいときに普通にしていたら、親が気にとめてくれなかった、注目してくれなかったという思いが、喧嘩をふっかけて自分と向かい合ってくれることを期待するのです。それは「甘え」といえるのですが、ラケットには本人が予想もしない危険が潜んでいるのです。

執拗に繰り返すことで、耐えていた恋人が我慢の限界に達することで拒絶を招き、予想した通り遂には見捨てられて孤独感に浸る、といったストーリーがその典型的な事例です。
こんなことしたら怒るだろうなと理解していても振り向いてもらえない不安から耐久テストをこれでもかというぐらいやってしまい、最後には拒絶されるのです。

この拒絶は、そもそも根拠のない「どうせ私をきらいになるんでしょう」と想像した通りの結果になるので、「やっぱり」と思いますが、これが人生早期にした決断「私は愛されない子、見捨ててくれ」そのものなのです。


▪️愛の正体


しかし本当の愛は、このような思い込み、歪んだ思い、理不尽な人生ストーリーを書き直すものなのです。そのためにはまず、無理でも「自分は愛される価値がある」ことを信じることです。

恋愛、人間関係とは、約束や誓いではなく、日々育んでいくものです。
願望を現実に変えられるのは、コントロールによるものではなく、寄り添い育むからです。

傷ついていることは、相手にわかることです。それが通じているから両思いになるのです。通じていない相手とは、そもそも価値観が違うので両思いになりません。

ネガティブな感情に支配されるのではなく、相手の幸せを考え行動で示していくものなのです。その気持ちが届けば、相手からも同じように返ってきます。それが信じられないのは自分が傷ついているからであり、傷ついた相手なら敏感に感じ取って裏切ったりしないのです。

愛し合うとは寄り添うことです。




2015年7月15日水曜日

「右にならえシンドローム」にさよならを


アートのように美しい暮らし方、つまり「矛盾のない暮らし方」は決して難しいものではありません。

しかし、日本のような「車座社会」で、実現するには難易度は低いと言えないのが現実です。既成の価値観が壁になりがちだからです。



戦後のモットーは一生懸命働くことでした。

昭和の成長期に働いていた人なら、みんな「頭を使って体を動かせ」と教えられたものです。それ以前の世代なら「体を動かせ」だと思います。
いまでは「みんなで力を合わせて働け」です。

古い世代がイメージするのは、車座です。
賢い人ほど「車座意識」が強いと思います。それを推奨もします。

しかし「みんなで力を合わせてがんばろう」ということは、車座になることではありません。車座は外の社会に背を向けて内向いた状態だからです。

いまは外に向かって共有、共感が大事にされる時代です。
内向きな組織への忠誠心、仲間内での協調性を重視した関係は、仲間の突出を監視してしまい、成長をけん制するからです。

花見での車座光景を思い浮かべてみてください。車座は内向きで自分たち以外に背を向けています。
日本社会は長い間、この光景を推奨してきた傾向があります。その顕著な事例が「忠誠心」とそれを支える「滅私奉公」の精神です。その背景には権力が創造した「村社会」があります。

人によって考え方はいろいろですが、この状況は「ぬるま湯」のようなもので、浸かっている間は心地が良い。しかし長い間浸かっているとふやけてきて「会社離れ拒否」になります。努力する必要がないからです。これは「隙あらば辞めてやろう」というぐらいの意気込みのある人が帰属意識で踏みとどまっているのとはわけが違います。

それが「右にならえシンドローム」になってしまうと、会社はいやでも停滞します。この停滞を打ち破るのは、車座を解体することです。

同じことはどんな業界にも当てはまるし、個人的な暮らしにもあてはまります。みんながこぞって同じものを求める現象がそうです。
「みなさん、なになにしますよ」と言われると、横並びでそれに従う。

このような状態が慢性化してしまうのは、「自主性喪失病」で、明らかな病気です。
本当に大事なのは「自分は人と違う特別な存在」ということを強調するのが競争に勝つ要因なのに。

車座を解くということはなんら自主性を必要としなかったやり方を否定して、自律と自立を取り戻すことです。そして外の世界を見るとき、自分の内側に「きっとうまくいく」という信念を置きます。

この信念があれば、世界を見る目は変わります。
ほとんどの人は、夢や希望を語りますが、同時に実現を妨げそうな要因を考え、萎縮してしまい行動に移しません。しかし「きっとうまくいく」と信じる人は、先に行動し、そこから生じる問題をひとつずつ、自転車に初めて乗ったときのように、試行錯誤しながらうまく乗れるように挑戦していきます。このとき、自分には無理だと思った人は大人になっても乗れません。つまり子どものように、乗りたい一心で、必ず乗れると信じて、何度も挑戦するだけです。




いますぐ横並びの、「できない、無理だ、」の車座から抜けることです。






2015年7月5日日曜日

アートのように美しい生活術












人は誰でも価値ある者と思いたい、思われたいと思うものです。それこそが生きる目的だと言って過言ではありません。そして幸福に楽しむために暮らしています。

自分が大切にされてないと感じると心ばかりか、体調までおかしくなることが少なくありません。またその原因を自分が劣っているからだと思うこともあります。

何ごとにも失敗してはいけないと思っている方、自分の欲求や希望を伝えるのも、控え目にするべきだと考えている方、感情を表現を抑圧してしまう方もいます。疲れ、落ち込み、腹立ち、寂しさ、嬉しいことさえも表現してはいけないと思っている方も少なくありません。

外部評価による力、たとえば役割、地位、さらに自分ではどうにもできない年齢、性などの固定化したイメージに縛られた行動に終始して、自分の内なる力(在り方)を使わないままに自信を失っているかもしれません。

マイ・プロジェクトは、生活から生まれた「矛盾のない暮らしはアートのように美しい」をコンセプトにしています。


アートのように美しいとは、おしゃれな暮らしと思われるかも知れませんが、そうではありません。でも、そうかも知れません。なぜかというと外見的な見た目のおしゃれではなく、自分の内側からキラキラするような暮らしだからです。


したがって、マネジメントのどのシーンを切りとっていただいても、仕事と家庭の対立がなく自然なWIN-WINが構築できるだけでなく、個人、組織、共同体の幸福が無理なく共有、共感、共鳴できるようになっています。

現在のビジネス社会では以下のようなキーワードがたくさん出てきます。

WIN-WIN、アサーション、アサーティブ、コミュニケーション、スイッチチェンジ、思い込み、決めつけ、イエス、相手目線、アイスブレイク、伝える、傾聴、メリット、ニュートラル、マネジメント、コーチング、ホスピタリティ、ファーストコンタクト、ゴール、プロセス、感情、交渉、プレワーク、モチベーション、共同体、PAC交流、DESC法、 PREP法、SDS法、“WIN&LOSE”“LOSE&LOSE””GIVE&GIVEN” 率直、誠実、対等、自己責任、じぶん内の力、じぶん外の力・・・・さらにTIMEHACKS

これらの意味や使い方についても説明して行きます。それは知識になって記憶に残って行くでしょう。それはそれでいいことですが、使いこなさないと意味がありません。知識の断片がいくらあっても、それが有機的につながっていて、自動的に全部が機能する必要があります。

マイ・プロジェクトでは、意欲の源泉として、人間力の土台であるライフスキルを重視して、ライフスキルを基礎に、その上にアサーション(アサーティブ、アサーティブネス)を据えて20数年以上の研究を重ねてきました。

アサーション~遠くにあるものを近づける活動は、自分や他者の価値を値引きしない、価値を差別する基準をもたないニュートルな位置に立つところからスタートします。
元々、誰にも認められているアサーション権を知り、確信をもち、そしてそれを大切にしようとする意志が必要です。

人は生まれながらにして基本的な人権としてアサーション権を持っています。
アサーション権とは、私たちは、誰からも尊重され、大切にしてもらえる権利のことで、人間の尊厳は誰を侵すことも、誰からも侵されるものではないことを意味しています。つまり人権の基本です。

ところが、人は成長とともに後から身につけた社会的イメージを優先して、アサーション権を自覚することのないままに、自分の行動を規定して行動していることが少なくありません。

抑圧した言葉、感情はどこへ行くのでしょうか?

本来、物事そのものには意味がありません。意味づけをしているのは自分の判断ですが、アサーション権を忘れていると自分の判断であることに気がつかなくなってしまいます。

習慣、広告などの情報、他者の頭、自分の思い込み中心に考え行動しているとしたら、本当の意味で自分の頭を使うことはできなくなってしまいますが、この状態を平常時の自分だと思い込んでいる可能性があります。自分でアサーション権を拒否しているみたいです。

アサーション権を意識していないと、自分や他者の価値を値引きしてしまい、自分の価値を自分が値引きした分だけ、損している気分が高まります。 行き場をなくした自分の言葉や感情によって<Win-Lost>が頻繁に起こるようになり意欲の低下がさらに<Win-Lost>を呼び込みます。

特に本来備えている無邪気なこどもの心や保護的な親の心を抑えている傾向が強い人、つまり社会的規範に敏感な方ほど、その傾向も強くなりがちで能力を発揮できなくなります。抑圧は鬱憤(うっぷん)となって、差別化する力を台無しにしてしまい、「こんなものでしょう」といった覇気のない生活につながっていきます。

しかし、WIN-WINに目を向けてどのように展開すれば実現できるか、因果関係を組み立てていくと、アートのように美しい正しい生活術になります。

<正しい生活術>とは思い上がった考えに思えますが、どこから見ても矛盾がないからです。因果関係のすべてに整合性がとれているからです。その基礎には小学校の基礎教育にも採用されているWHO(世界保健機構)が提唱したライフスキルがあります。ライフスキルは人が健全に暮らしていくスキルと定義されています。しかし本当に役立つ基礎である生きる力は、人は誰にも教わっていません。

ほとんどの動物は親から学んでいることを思うと奇妙ですが、賢すぎてこんなことになったのではないかと想像します。

マイ・プロジェクト=<正しい生活術>とは人が幸福に楽しく暮らせるための生活術なのです。それをあなた自身が見つけ出すのをお手伝いしたいと思います。

2015年5月22日金曜日

この縁を大切にしていく



全世界の人口は70億人。
一生のうちに出会う人は極めて限定的。
そのなかで特別な関係になるとは奇跡の領域です。

縁があるということです。
その縁を大切にしないことは神の道に背くようなものです。
全身全霊で大事にしたいものです。

なぜなら偶然の出会いとは考えにくいからです。
縁とは因縁です。
複雑なプロセスを得て、出会う原因があったということです。



今日の出会いは5年前に予約されていた、
そんな気がする出会いがあります。
もしかしたら10年前、20年前かも知れません。

あの人が持っている不思議な違和感。
その雰囲気が引き寄せたのは偶然ではない。


引き寄せるために、見つかるように、その人に宿ったのは偶然ではない。




2015年5月19日火曜日

アサーティブにこだわればいいことがある、




アサーティブが重要なのは、具体的に説明することにあります。
ということは、感情的になっていてはできないということになります。

ものごとの見方を変えて、客観的に判断して具体的に伝えます。

ノン・アサーティブな人、アグレッシブな人は、感情的に伝えるので、相手はよく理解できません。

問題はこれに留まりません。

感情はたいていの場合、跡形もなく消えてしまうように思われています。感情だけを考えるとそうですが、感情は判断にも影響を与えています。

感情は消え去っても、判断と選択は残ります。

すると、選択の理由を後付けでするようなことが起こってきます。適切な理由がなければ、矛盾するようなことが出てきます。しかし自分のポジションによっては、変更できないというようなことも起こってきます。こうなると一瞬の根拠が曖昧な選択が、長期にわたって悪影響を及ぼすようなことが起こってきます。


くれぐれもDISC法、スイッチチェンジを活用したアサーティブな判断を心がけましょう。



2015年5月13日水曜日

閉ざした質問











相手が「はい」「いいえ」で答えられる質問は、相手にとって優しそうな質問だと考える人がいます。ノンアサーティブな人ならそう思うでしょう。

しかしこのようなクローズされた質問は冷たい質問です。事務的で、警察官や裁判官のようです。「クローズされた質問」の欠点は事実の結果だけでは」伝えきれない複雑な感情を話させない、話す機会を奪ってしまう危険があります。つまり相手に無関心だと伝えてしまうのです。

これだと相手は、期待されていない」と受け取っても仕方がありません。

零細企業のトップの感覚に驚いたことがあります。
このたび社員のA子さんは結婚が決まりました。そこでわたしはごく自然な成り行きで、お相手の方はどうような方ですか」とトップに聞き返ししまた。

すると「聞いてません」という返事です。大企業のトップならともかく、アルバイトを入れても数十名の会社で、しかも社員で長年

勤務している女性のお相手に関心がないというのは、驚きです。

多忙すぎて聞くチャンスがなかったというならわかりますが、そうでもないのに、どうしたことでしょう。

警察官や裁判官が「はい」「いいえ」で答えられる質問が多いのには、理由があります。そうでないと話がどんどん拡散してしまい、事実が分かりにくくなるからです。

しかし信頼関係を築きたいと考えているなら、拡散が必要だと言ってもいいでしょう。それはあなたに関心がありますというメッセージに他ならないからです。アサーティブで、つまり積極的で具体的な開かれた質問、オープンな質問を心がけましょう。





2015年5月5日火曜日

モチベーションの高い働きがいが起こる5つの設問

働きがいのあるモチベーションの高い会社にするプロセスでは元気に改革を行うことです。その陰で同時に深く静かに問題点の改善が進まないと成功しません。元気に改革ができると、問題点の改善も容易になります。強みを見つけましょう。

見つけ方はアンケートから進めていきます。この時に問題発見の視線で注目しないことがポイントです。なにが強みなのかに注目します。

まずはシンプルな聞き方をしてみましょう。



【信頼】
 会社や経営・管理職層を信用しているか


【尊重】
 会社が自分たちパートナーを「人」として大切に対等に尊重しているか


【公正】
 適切な評価や処遇がされているか、えこひいきや差別がないか


【誇り】
 会社が提供している商品やサービスに誇りを持っているか


【連帯感】
 自分らしくいられるか、自分が所属する部署(チーム)の仲間と連帯感を感じられるか