ストレスというのは、悪いことのように考えられるけれど、そんなことはないんですよね。
幸福になろうとしたら、ストレスの嵐の連続みたいなものです。
だって、好きな人がいて、告白しようとしたら、フツーの人ならストレスが来る。好きなほど強いストレスが襲来する。それを嫌って抑圧したら、やっぱりストレスに攻撃される。だったら恋をしなければどうだということになるが、それも寂しくてストレスになる。
恋愛がうまくいかない人は、ストレスとのつきあい方がまずいんですよね。とってもネガティブな扱いをして、ネガティブなコミュニケーションをする。その方が楽だからね。でも自分が楽した分、相手のストレスになることを忘れてはいけない。
ポジティブな方が本当は大変なんですよね。 ビジネスもそうだけど、恋愛は50%自分、相手50%が基本だからね。お互い別人格であることを忘れずに境界をしっかり守ってほしい。恋愛の魅力は甘えられることにあるのは間違いない。だからと言って、ことが終わった後に「人生よろしくね。」って言われたら引いてしまう。いくら好きでも冷めてしまう。責任とるのが嫌ではなくて、自分のことを自分でケアする気のなさに嫌になる。自分の責任引き受けて生きてる人間なら誰だって「コイツなんだ」と思うはず。
逆に自分の責任を引き受けて健気に生きてるから、「ああ、助けてあげたいな。オレもしんどいけど、コイツのためなら無理してもいい。」と思うわけで、そこで互いに成長する動機ができて、目標ができてくる。それはストレスを苦にしない状態です。ストレスを我慢するのではなく、楽しめる状態。それを続けられることが結婚ということだ。だから「結婚しています」は過去形でなく、現在進行形なんだよね。
結婚している人を好きになって告白したら、「私、結婚しています」って言われるだろうけれど、その意味が「もう無理です」という意味なのか、「現在、他の人のためにがんばっています」と意味なのか、それは当人にしか分からない。でも「現在、他の人のためにがんばっています」という意味なら、応援したくなるのが本当の恋心だと思う。だから清算されていない不倫って快楽だけを求めた行為でしかない。
愛することは、成就していても、見込みがなくても同じことです。恋の思いが叶う見込みがなくてもストレスを楽しめる状態にあるとき、好きを超えて愛している状態になる。ストレスに負けるようなら恋でも愛でもなく、それは依存という。 ワインのブランドにこだわる一方で、人間を酒やワインと同じレベルに扱って、「好き」なんて言うもんではない。
2011年4月18日月曜日
大人同士の親密なコミュニケーション
見捨てられ不安が強い人と、そうでもない人がいます。
見捨てられ不安が強い人は過去に重要な誰か、たとえば父親とか、母親にそういう目にあった人が少なくありません。感情的になる人にはそういう人が多いのは仕方がないといえばそうです。つらい思いをこらえて成長してきたのですからね。
だからといって、感情的になっていいことはありません。
感情的になる人って、本当は、自分をすべて受けとめてほしいのです。
自分の中の小さな子どもが、きびしがって泣いているのです。
けれど、それを誰かに求めることには無理があります。
相手の価値観でしか考えられないからです。
寂しくて泣いている自分という子どもを抱きとめてあげられるのは、自分以外の誰かではなく、自分自身しかいないのです。
親密さを育てていくヒントがあります。
大人同士の関係に、自分の中の子どもをすべりこませないことです。
なぜなら、いまの自分は大人だからです。
自分の仲の子どもがパニック状態になりそうになったら、自分がしっかり抱きしめて、「いまは待ってね。あとでゆっくり気持ちを聞くから、今は大人の私にまかせて」と言い聞かすのです。
ちょっと二重人格みたいだけど、訓練ですから、自分で自分をコントロールする意識が必要です。慣れたら意識しなくても、自然にできるようになります。
大人の親密な関係は、お互いの境界がしっかりしていなければ育ちません。
なぜなら、どんな人にも限界があるからです。人はそれぞれに歩んできた歴史があり、時間や空間があります。以前我慢したけれど、もう同じ経験はしたくないと考えている人に、そのくらい我慢してもいいでしょう」と思うのは、境界を無断で侵入していることなのです。なにごとも、すべて思い通りになることはないのです。
見捨てられ不安が強い人は過去に重要な誰か、たとえば父親とか、母親にそういう目にあった人が少なくありません。感情的になる人にはそういう人が多いのは仕方がないといえばそうです。つらい思いをこらえて成長してきたのですからね。
だからといって、感情的になっていいことはありません。
感情的になる人って、本当は、自分をすべて受けとめてほしいのです。
自分の中の小さな子どもが、きびしがって泣いているのです。
けれど、それを誰かに求めることには無理があります。
相手の価値観でしか考えられないからです。
寂しくて泣いている自分という子どもを抱きとめてあげられるのは、自分以外の誰かではなく、自分自身しかいないのです。
親密さを育てていくヒントがあります。
大人同士の関係に、自分の中の子どもをすべりこませないことです。
なぜなら、いまの自分は大人だからです。
自分の仲の子どもがパニック状態になりそうになったら、自分がしっかり抱きしめて、「いまは待ってね。あとでゆっくり気持ちを聞くから、今は大人の私にまかせて」と言い聞かすのです。
ちょっと二重人格みたいだけど、訓練ですから、自分で自分をコントロールする意識が必要です。慣れたら意識しなくても、自然にできるようになります。
大人の親密な関係は、お互いの境界がしっかりしていなければ育ちません。
なぜなら、どんな人にも限界があるからです。人はそれぞれに歩んできた歴史があり、時間や空間があります。以前我慢したけれど、もう同じ経験はしたくないと考えている人に、そのくらい我慢してもいいでしょう」と思うのは、境界を無断で侵入していることなのです。なにごとも、すべて思い通りになることはないのです。
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