2013年1月31日木曜日

不都合な言動の裏で



痛みとはいやなものです。私たちは苦痛をさけるためには、積極的に解決にあたると思われがちですが、そんなことはありません。

私たちが不都合なことをしてしまうのは、自分が無価値であることを改めて自分に証明するためですが、それだけではなく「見返り」を求めるからです。子どもというものは、病気や怪我など、何かいやなことが起きると、ふだん以上の心づかい、理解、同情、そしてもっとも大きな愛情が得られるのを心のどこかで学びます。それが見返りなのです。

ですから、その愛情が欲しい時には、病気や怪我をしたりするのです。それが一生続くパターンになってしまいます。その巧妙な行為の典型が飲酒・喫煙・過食です。

しかし、 あらゆる見返りは、愛の象徴であり、それが本当に欲しい実物ではありません。たとえば注目、同情、逃避、口実、保護、受容、承認、犠牲、支配、操作、責任逃れ、自分にとじこもること、歪んだ達成感などがあります。

これを獲得するためにさらに奇妙な言動をしている人々を目にします。「私は一生懸命問題に取り組んでいる」「このことから学んでいるのだ」「これをすることで、感情が解放できる」「これに取り組むことで成長できる」「私は苦悩をコントロールできる」と一見ポジティブな表現をして自分のネガティブ性を誇っているような人もいます。実に面倒くさいことですが、その裏にはネガティブ性を応援するビジネスが山ほど存在している事実があります。

しかし、 ネガティブなことをしないでも注目が得られれば、そのほうが簡単でやさしいではありませんか?自分が行なっている、ネガティブ思考、ネガティブな感情、肉体におけるネガティブなものから、何を得ているか、得ているつもりなのか。正直に見つめてみることです。この貴重な真実をネガティブ性を応援するビジネスは決して教えませんが。