2013年2月20日水曜日

「嘘」から自分を解放する



「アボリジナル」(オーストラリア先住民)の血筋を受け継いだ友人がいます。彼女は癌のため余命1年と宣告されました。

強い興味のあった日本に来ることを決意。結婚して子どもが一人いましたが、旦那さんに自分のことを忘れて独身に戻って幸福になってほしいと告げ、離婚を申し入れ子どもも引き取りました。

そして日本に・・・後を追って、彼女の弟2人と女ともだちも。こうして見知らぬ国でゼロからのスタートを4人で始めました。なにもかも祖国と違うやり方にとまどいながら、生きることに没頭しました。知り合ったドイツ人男性とも楽しく過ごしました。

彼女はすべてにポジティブでした。 休みの日にはわらじのようなBBQパーティーを楽しみ、 友達に会うためにトルコなどにも旅行もしました。やがて、いつの間にか癌から解放されて完全に復活します。

一生懸命働くこと、家族や友人の愛、恋、そして笑いを、回復の原動力にしたのです。愛、笑いがもたらす力は偉大であり、それは生活の明るい面に集中することから得られるパワーです。

どんなことにも陽と陰があります。どこをどのように見るかは見る本人次第です。もし彼女が癌を宣告され、それを理由にアクティブであることをやめたら・・・・

暗い表情で、涙を流し、旦那さんとの間で憂鬱なコミュニケーションを繰り返したらどうだったでしょう?

私たちは嘘に囲まれていないでしょうか?

宗教戦争はなぜ起こるのでしょう?とても奇異な現象だと思いませんか?そもそもその宗教はどのようにして浸透したのでしょう?

日本でも昔、時の権力者によってキリスト教徒は弾圧されました。権力と宗教は深い関係があります。民を抑えるための宗教は生活の知恵として浸透しました。ユダヤの悲劇はユダヤ教なしには起こりえなかったのです。

プレスリーはゴスペルこそロックのルールだと言い、生涯ゴスペルを愛し、精神的に抑圧した暮らしの末、悲劇的に人生を終えました。神は助けに来ませんでした。必要だったのは精神的な支えではなく、具体的な生活改善でした。

宗教を批判しているわけではありません。我慢の在り方を間違うと人生は不幸を引き寄せます。我慢の根っこには暗い面と思い込みがあるのが要注意なのです。つまり自ら自分を暗黒に束縛してしまうのです。

ダースベーダーのように。




一生懸命働くこと、家族や友人の愛、恋、そして笑いは「嘘」から解放される許可です。



しかも笑いという薬には伝染力があります。

2013年2月19日火曜日

「パンケーキのつぶやき」と「いいね」の数の秘密



「パンケーキのつぶやき」への「いいね」が男性中心に増えて行く日と女性中心に増えていく日があるように思います。それぞれに共感していただくコメントが違うからだと思います。

男性は女性のために尽くしたいと思っている。でも女性は自分のために努力してほしいと決して思っていない。ここが男と女の本質的な違いで、すれ違う原因だと思います。

無理するのではなく、そうありたいと自然と湧き上ってくる感情。大事にせずにはいられない気持ち。

つまり女性が望んでいるのは、男性が男性自身のために女性を愛してくれることを望んでいるのではないでしょうか。

それこそが「女性らしさ」なんですよね。その心情が理解されない時、切なくなる。ところが男性は女性のために頑張ることを本分と心得ている。

でも考えてみてください。
ガンバらずに愛してくれるのと、ガンバって愛するのでは、随分違うでしょう。

どちらが本物だと感じますか?ガンバらずに愛さずにはいられない方ですよね。その方が自然体なので女性は安心してリラックスできます。

でも育って来た環境が男女では違います。なにかにつけ男性は頑張ることを期待されている。行動で示すことを求められている。それは男性にとってとても自然なことなのです。頑張らなくていいときでも頑張ってしまおうとするのです。健気ではありませんか。

愛があるから、両者とも健気になるのです。でもその健気の在り方ですれ違う。






「外国に行けば、その国の言葉で会話する。君の国で話ができるように勉強するね。君が君でいられるように。」・・・

・・・・このつぶやきは、男性には共感されやすいと思いますが、多分、女性には決して自分のために無理してほしくないと思われるのではないかと想像します。

この「女性らしさ」が健気で、そこを理解してほしいと思うのが女心だと思います。健気だと思ってほしいわけではありません。愛する人に対して果たすべき役割だと無意識で信じているのです。

結局、乱暴にまとめると、女性らしさに本心から共感してあげて、それを呑み込むことができると、無理せず愛してあげられるようになるのではないかと思うのです。

♬ 賢い人は言う 愚か者はあわてて行動に走ると
でも 君を好きにならずにはいられない
思い留まったとして
それは罪なこと
君を好きにならずにいられないとしたら

川が必ず海に流れてゆくように
愛しい人よ そうなってゆくんだよ
物事の中には定められていることもあるんだ
僕を受け入れて 僕の人生も受け入れて欲しい
だって 君を好きにならずにいられないのだから

川が必ず海に流れてゆくように
愛しい人よ そうなってゆくんだよ
物事の中には定められていることもあるんだ
僕を受け入れて 僕の人生も受け入れて欲しい
だって 君を好きにならずにいられないのだから

<好きにならずにいられない>

エルヴィス・プレスリーの名曲をセリーヌ・ディオンで・・・男心を女性がカバーします。

2013年2月18日月曜日

狂おしい



「バカバカしいこと」を「好きな女性(男性)」と「二人一緒に楽しむ」ことができるのが恋愛ではないでしょうか。 

まっとうなことを真面目に一生懸命やるのは当たり前のことです。そのような状態から恋愛が育って行くとは思えません。恋愛とは正気の沙汰ではありません。

最初から狂っているのです。計算も打算もなく、ただ狂おしい

狂おしいのレベルが高いほど恋愛はハピハピハッピなのです。ハピハピになれない恋愛は恋愛ではないと思います。



近松門左衛門のお話がなぜ胸打つかというと、狂っているからです。客観的に見たら面白くも何ともなく犯罪です。

でも犯罪の裏にどうしょうもなく狂っている二人がいて、その二人に応援したくなる観客がいる。

その心情こそが正直な気持ち、でもほとんどの人はそれを抑圧している。抑圧を解放してくれるのが狂おしい気持ちですが、賢く生きようとして、それに背中を向ける。



それは恋愛だけに留まりません。ビジネスでも同じです。やり遂げようとしたら狂っていると思う程の熱情がなければ成就はできません。




心のメカニズムが分かっていても、それを無視しないと恋愛は出来ません。論理的になって自分の恋愛を解説しだしたら、狂おしい感情が芽生えることはありません。

でもいざとなったら、ハピハピを育てるために知識を活用することも大事になるかも知れません。

しかしそれ以上に狂おしいほど好きな人を守るために、知っていて飛ばしていくのと、知らずに二人でドラマしているのは全然違います。

二人でドラマするのはパカパカしいことです。女性が「かわいく、かわいく」なっていて、男がそれを助長するようにケアしてる関係って、バカバカしいでしょう。自分のために相手が我慢してるのは嫌なはず。それができるのはなにか魂胆があるはずだと思ってしまいます。

「恋人はお互いを見るものではない、一緒に同じものを見る人のことだ」と言います。お互いを見つめ合うのではなくて、同じものを、同じ角度と同じ視点で見ることのできる関係が理想の恋人なんだと。

それは重要で素敵だと思うけど、そこに至るプロセスを大事にしたい。

最初からそういう人に出会うのがベストですが、 全然違う条件で生きて来た二人がそうなるのは難しい、なぜなら大半の人は完璧ではないからです。



ですから、恋人同志のバランスは難しくて、相手に自分と合わない部分があることを突然、発見してしまうものです。

それでも、いつでも一緒にいられる人はすごくスペシャルな人。そこが重要で、一緒にいられる力が狂おしさだと思うのです。






愛する動機




するとは、自分を鏡に映す行為でもあります。ですから自分自身と全然違うタイプに好意を持つことは、まずありません。自分によく似た人に好意をいだきます。

出会った瞬間に好きになることも珍しくはありません。 五感で自分にふさわしい、つまり鏡になる人物を選んでしまうのは、自分に近いからです。

全く同じだとイライラします。親子の間ではこの問題がよく起こります。欠点が目につき嫌悪感を持ちます。可哀想なのは子ども。

似ているけど違うなにかがあると、好意さらに尊敬に発展します。恋する、愛するはその先にあります。

人の動機にはなにかにつけ、本人も気がつかない隠された動機があります。実はこれこそが第一の目的である場合が多いのです。何度恋愛しても、結果的には同じタイプ、同じ結果にたどり着くことが少なくありません。そこには自分へのメッセージが潜んでいます。
自分が意識していない、生涯の目的が潜んでいます。

自分をハッピーな結末に導きたいのなら、 相手は鏡でしかないのですから相手を云々するより、自分が意識して自身の目的を設定した上で、意識して取り組むのがいいようです。





2013年2月8日金曜日

したくないことをする人、したいことをしない人



世の中にはしたくないことをする人、したいことをしない人がたくさんいます。なぜ、そうなのかといえば他人がどう思うか、どう言うかがこわいからです。

自分の願望や必要や欲求よりも、他人の意見がどうしてそれほど重要なのか不思議です。なにより世論というのは往々にして不正確です。

「世論に従って俗世に生きていくのは易しい。また自分の意見に従って、孤独のうちに生きていくのもやさしい。だが、悟りを開いた人間とは群集の真っ只中にありながら、独立自尊の中に生き 自立の醍醐味を心ゆくまで味わうことのできる人間だ。」 と言ったのはアメリカの思想家ラルフ・ワルド・エマーソンです。同じ意味のことを言った哲学者、思想家は沢山います。

この言葉が教示するように、自分が自分の考えや望みの中に自由に生きるのなら、同じ自由を他人にも与えなければなりません。他人が自分の意見に合わないふるまいをしても、それを受け入れることも大切なのです。つまり自分を尊重するように他人も尊重するということです。

裏返せば尊重されないことが怖いとしたら、自分が自分を尊重しない方がもっと怖いことだと気がつきます。人生から光を奪うようなことはしないでいましょう。