2010年10月8日金曜日

無駄な過去なんてない

いまになって振り返ると、なぜあんなことをしたのだろうか?と思うことがあります。いま思えば無駄なこと、意味のないことだったとしても、その当時には必要だったことなのです。その基準は他人との比較で決まるわけではなく、自分の内側で決まることです。

 だから、本当はイチロー選手のようにこどもときに目標を持って、その実現にたっぷり時間をかけるのが効率的です。無駄を軽減できますから。それにはやっぱり親の力が大きいです。

とかく親とは、こどもの能力を値引きする傾向にあります。子供が親より勝っているというのは、ほとんどないですから。親がモチベーションを引き出すスキルと手順を持ち合わせていると、値引きすることは少ないですが、ライフスキルを身に着けた親が少ないのも現実です。

自分が親になったときにも言えることですが、子供にとって、親はいくつになっても親ですから、老いが目だってこないと、頭が上がらないことも少なくありません。しかし、自らを振り返ってみても分るように、分かっていない親も多いわけです。

 私は仕事で出会う人々によく見受ける傾向が気になります。自分の成功事例や経
験で自分の意見の正しいと主張する傾向が強いことです。正直、この種の人と話し
ていると、その偏狭な魂にうんざりして「バカか」と思うことがあります。

 たとえば有名な経営書のひとつに経済学博士マイケル・E・ポーター著の『競争の戦略』『競争優位の原則』があります。古典的な書籍です。

 読むと分りますが、言い回しが簡単ではないので、非常に難解です。正確に伝えたかったからでしょう。
それにしても何のために、そんな難解な本を読むのでしょうか?これだけの本を読むモチベーションが働いている点から、自分なりの主張も持っていると思うのが妥当でしょう。
ワタミグループの総帥 渡邊美樹氏は若いときに『競争優位の原則』を何度読んでも分らないので100回以上読んだそうです。

 でも投げ出さないのはなぜでしょう。読む必要があると感じていたのでしょう。だから理解できるまで読み続ける。必要の理由はまだ自分は未熟であり、学ぶことがたくさんあると既定していたからでしょう。その姿勢はいまも変わらないでしょう。

 このような態度は、人の上に立つものには特に重要です。間違った判断が部下を路頭に迷わすことになるからです。親にも同じことが言えます。子供を間違った方向に導いてしまうからです。

 では、未熟とそうでない違いとは何でしょうか?「なれる最高の自分」をめざす者には、これでいいということは最期までないでしょう。それは本当であっても、未熟でないレベルがあるはずです。原理原則を知っているだけでなく腑に落ちたレベルで理解しており、かつ活用できるレベルが未熟でないレベルではないでしょうか?

原理原則とは、数多くの事例から、共通した条件を数多く見出し、一定の法則を導き出したものです。

たとえば子育てでいうなら、次のような年齢と時期があります。

0歳~5ヶ月    安心認識の時期
5ヶ月~10ヶ月  親離れの芽生えの時期
10ヶ月~18ヶ月  躾で行動の制約を教える時期
18ヶ月~3歳   自分の意見(イエス、ノー)を言う時期
3歳~5歳     親を真似る時期
5歳~12歳   境界を認識する時期
12歳~18歳   親離れの時期
18歳~20歳   自立 仕上げの時期

ここから見えることは、その時期、時期の対応を間違うと健全な子育ての仕組みは崩れてくるというものです。
つまりこれは因果関係をもとに逆算して、問題を未然に防ぐための仕組みそのものなのです。

 もし、年齢と時期を考慮せずに、年齢にふさわしくないことを摘要するとどうなるでしょうか?
0歳~5ヶ月というと、こどもは見るものすべてが未知のものであり、興味の対象です。なんにでも触りたがりますが、危険がいっぱいです。この時期に、危険だからという理由でなにも触れない状態にしたら、こどもは学ぶこともできずストレスを感じます。親が危険なものを除去しておいてあげることが大事なのですが、もし親が学ぶこともしないで無関心でいたらどうなるでしょうか?

さて、怖いのはここです。学ぶこともしないで無関心でいても、運良く事故もなく大過なく過ごせる場合もあります。その事例を持ち出して「放置していたが大丈夫だった」と言い出したらどうなるでしょう。これを成功事例として、未経験の母親に教えたらどうなるでしょうか?

 野生の動物は、こどもが親から離れても生きていけるように、定めた期限までに教えます。そして期日が来ると親はこどもから離れていきます。親と子はそれを本能でやってのけます。
人間の親は、たとえば成人式までに自立させるという目標を持って育てているでしょうか?大きくすると育てるのは違うことです。

 目標を持たず、その達成のために原理原則から導き出したシステムにも無関心なまま、思いつきで子育てをしたといたら、思うような子育てはできないのが普通ではないでしょうか?同じように仕事をしても成果をものにすることはできないでしょう。赤の他人が少しばかりの情報で結婚して思うような生活ができないというのも、当然でしょう。悩み、ストレスが生じるのは必然ではないでしょうか?

はじめて結婚する人、再婚する人、結婚後の関係を最良にしたい人。。。。
自分のものにするべきは、「こうすればこうなる」という因果関係で構築された仕組みなのです。

しかし、因果関係を逆算した仕組みなど、誰が教えてくれるでしょうか?親も知らない、先生も知らない、運転免許証以上に大事なことなのに、誰も教えてくれない。流行のヒット曲に感情のあり方を学んでは感情的な行動で傷つく。そこで苦しいいまを乗り越えるために、しなくていいバカなことをやる。
それは生き抜くための救急装置である場合が少なくなく、その結果、十字架のように背負って歩くこともある。

結婚は、その典型的なひとつです。

わたしは、ライフスキル講座でも、愛について、結婚について書いていますが、ほとんどの人は考えることもなく踏み込んでいます。

実際には、ほとんどがもっとカジュアルです。彼氏、彼女との関係になるために悩んでも、その後の結婚生活でどれほど考えているでしょうか?

動機も全然ちがいます。

依存したい
甘えたい
必要とされたい
受け入れられたい

これを間違った考えだとするには、人生はあまりにも苛酷です。
恋愛が一般の人々にとって、エネルギー、安らぎになります。ならなくてどうすればいいのでしょう?

その後に、あんなに愛した人との関係性が変わったとしても仕方がありません。
過去にはそれが必要だったのですから、それでいいのです。

だから、それがなんであっても、「がんばったね」でしかないのです。思い違い、勘違い、考え違いが混ざった過去の出来事は、過去のこととして、笑い飛ばせばいいのです。一生懸命に生きた証しなのです。

で、これから先は、目標を持ってやっていけばいい。目標を持てば、こうなればこうなるという因果関係に気をつけることができます。
そのプロセスで学ぶことは、すべてプラスになります。

必要なのは仕組みを知ることです。仕組みを知って逆算できる力を育むことです。将棋やオセロ、勝負ごと、ゲームで勝つには結果から逆算することが不可欠です。求める結果がどういうものか確かに認識できなければ逆算のしょうもないのです。

この先も思い違い、勘違い、考え違いがあるでしょう。でも最小限に防ぐことができます。不容易に他者を傷つけることも減るでしょう。

過去の自分に振り回されていると、変えることは非常に困難です。変化を起こすには、小さなことからでいいから、違うことをする、違う結果を求めるしかないのです。結果は行動の集積ですから、行動を変えると結果も必ず変わるしかないのです。北に行きたければ北を向いて進むのです。

それがどうしてもできないという人は、いまある自分は因果関係の結果のいまの自分だから、変えるべき欠点ポイントを客観的に発見して、変えてみるようにすることです。そのほとんどは現実的でないネガティブな受け止め方をすることと、感情処理の仕方に問題があります。

「なぜか、ネガティブな受け止め方をしてしまいます。ポジティブに考える様に努力しているのですが・・・・」これでは対策になりません。ちゃんと理由があるわけですから、理由の根本にある考え方を変えるようにするのです。

人間が行う商売を学ぶだけでも100回以上も同じ本を読む。それでも解決するわけではなく、日々わからない事が起こってくるのです。
その人間の根本を学ぶ訳ですから、因果関係で傷ついた自分のその原因にたどりついて、不具合を変えようというわけですから、簡単であるはずがないのです。分かったと思えば、また同じ失敗をしている。気がついてガッカリする。なんだ。できていないではないか。その繰り返しをしながら、あきらめずに続ける。それしかないのです。

そこで生じることに、手を伸ばすのがゲンキポリタンです。しかし「したい、したい」というばかりで実行しない人には、手のほどこしようがないのです。
実行しない場合には冷たいのです。冷たくしかでいきないのです。

どうか、因果関係を発見して、自分の構造を知ってください。行動でなりたい自分、したいことができる自分になってください。人間関係で相手を変えたい場合は、限界がありますが、影響力のある自分になってください。

結果と原因を支配している因果関係を見つけるには、「ライフスキル講座」に参加して問題を具体的にお知らせください。

ゲンキポリタンからのお知らせでした。

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