2010年6月8日火曜日

意欲のある生き方が自分を変える

 仕事は人生の中心にあります。

 そのために、人を理解するには、その人が何をして、なにが好きで、どうお金を使うのか、社会的な立場はどうかといったことよりも、何をしているかの方がずっと重要になります。

 さらに言えば、仕事をどんなふうにやっているのか、その行動に外見では判断できない実像と人生の挑戦への姿勢を見ることができます。


 ですから仕事への姿勢は、生活全般を串刺しのように貫いています。自己効力感の低い人は積極的に仕事することを避けようとします。
 「何も問題なく人生を過ごせたら……」という願望を理解することはできても、それは生活全般を無為にしてしまうことにつながっているのです。

 それは恐怖心のために、せっかく”オギャー”と生まれ出てきた子宮の羊水の中に戻る退行のようなだからです。生まれたことを後悔しているような行為だからです。

 このような場合には、安全を求めて世話をされることを求めて、守ってもらえる、依存できる相手を見つけようとします。
 本当のところ、恐怖心と実際の能力は比例しているわけではありません。困難な仕事に必要な能力を持っていても、挑戦しようとはせず、自分にはできないと都合のいい合理的と思われる理由を見つけます。あるいはやってはみるものの、うまくできないと自ら失敗に向かいます。そして自分には能力がないことを繰り返し証明してみせます。

 また、昇進を言い渡されると、不安と恐怖心で作った「想像」でヒステリックな混乱を起こし、助けを求めて周囲の人に依存してしまうこともあります。洞察力のある人たちが、一つ一つ噛んで含めるようにサポートしても効果のないことに疲労と挫折感を覚えるようになります。実はこの挫折感こそが、本人の挫折感そのものなのです。やがて求めている助けがエンドレスであることに、責任逃れだと思い当たるようになります。

 不安が実力以下の能力へと押し下げるのです。不安とは、新しいことにチャレンジする際に生まれる、自然な反応です。決して悪いものではありません。しかしこの反応に身をまかせるだけなら進化はなく、家庭人としてもいい影響がありません。

 自己イメージに「有能な私」の姿が似合わないと感じるのはいいことではありません。求めるイメージが高すぎるのです。否定的な自己イメージを持っている人は、自分の能力を高めるチャンスが来ても、問題を解決する場面でも、背を向けてしまうのです。

 人は自分の才能を認めることよりも、力がないと思っていたほうがずっと楽なのです。そうすれば、他人から嫉妬されることもないし、重い責任を負わ ずにすみます。それをよしとする理由は人それぞれですが、過去をほり返すより、どうすれば、問題を乗り越える力を発揮できるかを考えたほうが自分の人生にプラスになります。

 間違いなく言えることは、この世界を逃げるようなスタンスで生きることはかえって危険だということです。働くことに最初から意味があるわけではありません。それぞれ個人が意味を発見します。その点、仕事は使い方で生き生きした自分を取り戻す場所になります。あるいはより自主的になる、つまりなれる最高の自分になる場所にできるのです。最高の自分は最高の家族に通じています。

「家族」「家庭」は職場と同じような構造をしています。職場で身に付ける問題を乗り越える力は、そのまま応用できるのです。「何も問題なく人生を過ごせれ ば……」という態度で家族が機能することはありません。機能する家族とは、問題がない家族ではなく、問題を乗り越えることができる家族なのです。問題を乗り越える力を育む場としてこれ以上の場所はないでしょう。

 仕事をするとき、もっとも注意深さが要求されるといって言いすぎではないでしょう。それをストレスと切り捨てることは簡単ですが。実はこの注意深さを通して、自分自身に気がつき、より良くしていくために、自分がとるべき方向と方法を発見できるようになるのです。それは自分と家族を守る注意深さに通じています。仕事は、本来の自分を取り戻す場として、最も有効な場所です。学校も挑戦することを求められますが、職場では責任がついてきます。人によって責任は重く感じるものですが、それがあるから逃げずに向かうことができる勇気を育むともいえます。

 勇気が乏しいからといって、自分を責めてはいけません。仕事は毎日それを問いかけています。だから仕事は人生の中心になるのです。仕事は教師の役割を果たしてくれるのです。


 さて、今日ここでもっとも言いたいことは、安全を求めて世話をされることを求めて、守ってもらえる、依存できる相手を見つけようとすることの危険です。それは必ずしも人ではありません。「○○○○○○依存症」と言われるように依存の対象は様々です。

 時に「失敗する自分依存症」もあります。失敗する自分依存症とは、自分にはできないと都合のいい合理的と思われる理由を見つけます。あるいはやってはみるものの、うまくできないと自ら失敗に向かいます。そして自分には能力がないことを繰り返し証明してみせるやり方が常習化したものです。
 そして自分を責める・・・私たちが気をつけるべきは、「そこにある人生脚本」です。

 失敗を恥じることも悔いる必要もありません。イチローが最高レベルのバッターであっても70%近い失敗をしているのです。問題は「繰り返し証明してみせる態度」です。冒頭にあげたように、仕事をどんなふうにやっているのか、その行動に外見では判断できない実像と人生の挑戦への姿勢を見ることができるように、どんなふうにして失敗したのかです。そこに人生脚本を抱きしめたいまのあなたがいます。

 その人生脚本になにが書いてあるのか、それを読むのが難しい時には「繰り返し証明してきたこと」で翻訳してみてください。つまり同じような繰り返しをしていることはないか?どんなささいなことでもいいのです。発見してみてください。

 繰り返す恋愛のすべてが相手の女性の涙と家庭環境で始まった男性がいました。その男性は、ある日、食事をしていた隣で、同じようなことを語っていた男性に出会いました。彼らは本当にその女性を愛したわけではなく、解決できていない自身の問題に振り回されていたのです。

 ある女性たちは、好きな人と交際が始まると、終止符を打ちにかかることを繰り返していました。彼女たちも解決できていない自身の問題に振り回されていたのです。

 またある女性は、こども時代の父親と母親と自分の関係を、成人したときに、自分を母親そっくりの状況に置いて、母親と同じ状況にご主人を置き、父親と同じ状況に結婚前に交際していた状況に置きました。つまり彼女はずっとこども時代の感情のまま暮らしているのです。こども時代に封じ込められた父親への感情を持ち続けることに成功しているのです。

いま苦しいことがあるのは、偶然ではなく解決すべき課題があるサインなのです。
課題はやっつけましょう!自分の選択と行動で、もっと幸福に、楽に暮らせるようになれるのです。

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