2010年6月13日日曜日

気後れして、うまく会話できない

 コミュニケーションを考えるとき、是非とも知っておいていただきたいことがあります。知っただけでは役に立ちませんので、行動してほしいことです。

 人は、いまこの瞬間にしか生きていないということです。

 1秒先に、自分の生命がなくなっているかも知れないなんて言うと、「理屈はそうだが」と言って笑って終わりになりそうな話です。

 それはそれでいいのです。
 でも理屈ではなく、そのように行動してほしいのです。

 思えば、科学は不可能を可能にしてきました。
 しかし現在の力では、過去には戻れません。
 未来にも行けません。
 人はいまいるこの瞬間にしか生きることはできません。

 だから、先のことを準備するのはいいことでも、不安に思うことは賢明ではありません。
 過去のことを反省するのはいいけれど、引きずることは賢明ではありません。
 因みに反省とは経験を活かすことです。

 過去をひきずり、先を不安がる。
 そのくせ、反省をしないで、準備もしない。
 これでは進歩しようがありません。

 分かっているけど、それができないと思うかも知れません。
 できないなら、しなくていいのです。
 自分の人生ですから、自分の選択です。

 でも、なにかにつけて、少しでもよくしたいのなら、できないではなく、できるようにしていかないとコミュニケーションも思うようにできません。
 隠された人生脚本の罠にはまらず幸福になるには、出来ないで終わりにしないで、やった、やっているにするのです。


 コミュニケーションが思うようにできない人には共通した傾向があります。
 自分のイメージが高すぎる。つまり自分は立派な人だと考えている。
 立派の基準がなにかよく分かりませんが、そのようです。
 その反面、自分を信頼していません。
 信頼できないのは、自分のイメージが立派すぎて、届いていないと感じているからです。
 事情がなんであれ、勝手に高いイメージを作っておいてできない、できないと言う。
 ようするに一言で言うと考えても仕方のないことを考えている。

 だから相手と対面しても、立派に見せよう、立派に思われたいと、どうでもいいことに注目しすぎて、気後れして、言葉が出ない、声が出ないというような状態になります。
 「気後れ」とは、他のことを考えているから、いますることについていけない状態です。

 考えながら食べる、考えながら運転する、考えながら話すことはできますが、考えながら別のことを考えることはできません。

 ですから気後れが起こります。

 自分のことに注目するのは自分の勝手ですが、相手にしたらどのように映るか、考えたいものです。

 相手にしたら、自分を歓迎してくれているのか、どうか分からないので不安になります。
 気後れしているのかどうか相手は分からないのです。そこまで考えないのがほとんどでしょう。
 不安になると敬遠したくなります。

 敬遠を察知すると、相手が自分を嫌った、受け入れなかったと考えます。
 これでは「ひとり芝居」です。
 相手への気配りがないままです。

 自分は相手に受け入れられたいので、相手の顔色を伺っている。
 だから相手への気づかいばかりしていると錯覚します。
 相手の顔色を伺っているのは、自分への注目だけです。

 相手の顔色を見るなら、元気そうか、疲れていないか、悩んでいないか、相手のことを心配してあげるようにしたいものです。

 相手が安心できるように、明るい元気な声で
 「おはようございます!今日は天気もよくて気持ちいいですね。お身体の調子どうですか?」と声をかけます。
 これでコミュニケーションはスタートできます。
 後は自然に展開します。

 考えても仕方のないことを考えて、いまこの瞬間から遠のくことは、誰にとってもプラスにはなりません。

 なぜなら、赤ん坊も大人も老人も、犬も、猫も、鳥も、みんな、いまこの瞬間にしか生きられないからです。

 それを無視して、自分は違う空間に生きようなんて、そんなことしていいはずないのです。違う空間にいて健康なコミュニケーションができるはずがないのです。

 気後れの正体が分かれば、すぐに改善です。

 どうしても「気後れ」が直らない?
 それもありです。自分を否定する理由にもならない。
 それも個性なのです。
 自信を持ちましょう。


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