簡単なことでも唐突に言われると、言われた側は反応に困るものです。自分の中で完結していても、相手は別人格なので、完結したことをぶつけられても困ります。
たとえどんな理由でも理油がないと分からないのです。
分かっていても、別の理由があることもあるからです。
ですから理由があると人は納得もできてしまいがちになります。
よくわからない理由でも「理由がある」ように話をされると、なんとなく納得してしまいます。
たとえば「点検しておきます。」と言われるのと、「不足がないか、点検しておきます。」では、後者の方が断然受け容れられる率は違います。さらに「安全のために不足がないか点検しておきます」と言うと成功率は高まります。ビジネスシーンのテストで明白です。
同じように「お金を貸してください」と言うのと「お金がないのでお金を貸してください」と言うのでも結果の違いは明白です。「家に帰れるかどうか心配です。お金がないのでお金を貸してください」ならよりわかりやすくて納得します。
つけてもつけなくても変わらないような理由でさえそうですから、もっとしっかりした理由であれば、結果はさらに変わります。
よりよいコミュニケーションを願うなら実行は欠かせません。
ところが、よりよいコミュニケーションを願う相手ほど、言わなくても分かってくれるはずと、勝手に自己完結してしまって、言わないケースが多いのです。
その最たる事例が単語しか言わないコミュニケーションです。「お茶」「風呂」「メシ」といった調子です。習慣化すると家族だけでなく外でもやってしまいます。これで通じるのは、相手が読んでくれるからです。
つまり依存しているのですが、その意識すらありません。多くを語らなくてもきちんと理由を伝えるのはマナーなのです。
コミュニケーションが円滑でない人は、まず「唐突であること」に気をつけてください。
頼まれたことを断わる場合、「できません」と言うのと、「今日は約束があるので、できません」というのでは相手の気持は全然違います。その上で気配りの言葉があるのとないのでは、さらに違います。
唐突というのは、正しい、間違っているを超えて、暴力的でさえある印象を与えてしまうのです。
正しいからいい、分かってくれているはずだからいい。
その背景には、「こうあるべき」の決めつけがあります。でも本当は、私とあなたは別人格であることを意識するから、コミュニケーションは楽しいはずです。「普通はこうなのよ」というのは大雑把に世間を語るときに使ったにしても、個人的な関係では、特別な人を特別でないようにされていい気持になることはないので、「普通」はないものとしましょう。
簡単なことほど、お願いするにも、断るにも、ただ結論を言うのではなく、短くてもひとこと理由を添えるようにしましょう。
簡単なことに理由をつける習慣が身につくと、大事なことに理由をつけない習慣は変わります。
「暑いので、窓をあけてください」「時間なので終わります」「疲れているので帰ります」「あなたの傍にいたいのでそちらに行きます」
自分への配慮でいっぱいいっぱいになって、相手への配慮に欠ける。それを繰り返すと負のスパイラルに陥ります。逆回転する脱出の一歩は、どんな小さなことでも理由をつける習慣から始めます。
その時に注意して欲しいのは、言いわけがましくならないこと。相手が、こう考えるだろうと考えないことです。相手に受け容れられそうな理由を考えるにではなく、自分に率直に、誠実になることです。
また、他人を理由に持ってこないこと。「あなたが動かないから私は帰ります」というように理由づけするのもルール違反です。自己責任がマナーです。「あなたが寂しいと思うから、あなたの傍に行きます」って冗談ならあっても本気ならどうでししょう。
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